天理高校軟式野球部初優勝のエース/大瀬祐治さん×伊勢谷スポーツ倶楽部「2016年天理高校軟式野球部物語」

2016年夏、天理高校軟式野球部は悲願の日本一を達成した。そのチームの中心にいたのがエースでキャプテンをつとめた大瀬祐治さん。
歴代の先輩が幾度となく挑戦しても掴むことのできなかった頂点に、どのように登りつめたのか。そこには野球がうまい、チームが強い、そんな言葉では表現しきれない「無形の力」が選手に刻まれていた。取材をしたからこそ確信した「2016年メンバー」の本当の強さをお届けする。

葛藤したピッチャーへの思い

―野球をはじめたのはいつですか?

幼稚園のときから友達と野球をして遊んでいました。野球が楽しくて、小学2年時に天理コスモ(主に天理小学生で構成されるチーム)に入団しました。
天理中学校で野球部に入りましたが、3年時になっても下位打線で、守備位置はファーストでした。本当はピッチャーをしたかったのですが、自信がなくて監督に言うことができませんでした。
天理高校に進学したものの、野球と楽しく向き合える自信がなくて、続けるか悩んでいましたね。

―そうだったんですね。軟式野球部は強豪ゆえに中途半端な気持ちでは続かないように思いますが。

中学時代に野球の基礎を鍛えてもらったので、練習についていくことはできました。また高校で新たな人間関係が広がっていくのが楽しくて、野球も前向きな気持ちで取り組めたように思います。いま思うと北寮に入寮したのが良かったです。父が天理高校の教員をしていた経験があり、北寮・みのり寮でも勤めていました。「天理高校に入学するなら寮の方が楽しいし、財産になる」と勧められて、迷わず寮に入りました。

―入部当初から有能な同級生が多かったんですか?

まったくです(笑)。ノックを受ける際、みんな簡単なゴロすら捕球できなかったです。先輩方はうまかったので、頼りない新入部員だったと思います。だからこそ、「こんな下手な自分たちが3年間でどれだけ成長できるかな」とワクワクしていました。

―公式戦に出場したのはいつからですか?

2年生の夏、県大会にピッチャーとして出場しました。当時も内野手でしたが、ピッチャーがしたくて、練習でバッティングピッチャーをしていました。でも、やっぱりピッチャーとしてやっていく自信がなく、監督に切り出せずにいました。この試合、エースの先輩が調子を崩して、リリーフピッチャーとして公式戦未登板の私が指名されたんです。実は監督もピッチャーとしての能力を評価してくれていたそうです。緊張の初マウンドでしたが、変化球が狙ったコースに決まり、抑えることができました。このときに野球が楽しいという感覚を思い出すことができて、ラスト1年はピッチャーで勝負したいと心に決めましたね。

当日はあいにくの雨、大瀬さんが育った東海詰所で取材を行った。

飛躍を遂げた木田監督との出会い

―新チームではキャプテンを任されました。

新チーム発足と同時にコーチだった木田先生が監督に就任されました。監督は怖いイメージがあったので、キャプテンに指名されたときには「毎日怒られる…」と震えていました。(笑)

でも、監督は野球を一から徹底的に教えてくれ、それが自分たちにとっての転機になりました。戦術、ルール、練習の意図など「こんなに奥深いスポーツだったのか」と目から鱗の毎日でした。例えば、「ランナー一塁でヒットエンドランの際、ショートとセカンドが二塁ベースに入るからセンターラインに打つとヒットの確率が減る」「ランナー二塁で一塁方向に打つと、アウトになってもランナー三塁になるから進塁打になる」など状況に応じた打撃を教えてくれました。今思えば当たり前のことですが、当時はそんなことも知りませんでした。

野球は単に打って守れば良いのではなく、すべてに意味があることを知ったことで、みんなが打席でやるべきことを考えるようになりました。監督の野球がチームに染み渡っていき、試合で成果が出るのがとても楽しかったです。

―木田監督との出会いは大きかったですね。

監督は野球論だけではなく、「私生活を頑張らないと応援してもらえないし、私生活を疎かにしている者に結果が出るわけない」と私生活の大切さも教えてくれました。監督の人間性に触れるたびに、みんな監督に惹かれていましたね。

―秋季大会の成績はどうでしたか?

県大会で優勝し、しっかりと隙なく戦えば結果が付いてくることを確信できました。近畿大会はレベルが上がるので自信はなかったですが、監督の指示をしっかり聞いて、一人ひとりが考えながらプレーしたら、決勝まで勝ち上がることができて、自分たちが一番驚きました。

打撃練習は一切せず、バントと守備練習に明け暮れていたので、きちんと戦えば近畿でも通用すると自信になりました。決勝戦は敗れましたが監督も「胸を張って帰れよ」と言ってくれて、悔しさ以上に充実感がありました。

―チームの雰囲気も良かったでしょうね。

秋季大会後、「日替わりキャプテン制」を取り入れたんです。するとみんなが主体的に指示を出して練習するようになりました。それまで練習に熱があるのか分からない選手もいましたが、キャプテンを任せると熱く思いを語り、チームを引っ張ってくれた。一段と仲が深まり、チームが団結していきました。

―応援されるチームになるために取り組んでいたことはありますか?

いくつかありますが、印象深いのはみんなが道に落ちているゴミを拾っていたことです。決めたこととは言え、誰も見ていない陰で実践することは難しいと思うんです。正直すごいなと思ったし、そんな仲間が誇らしかったですね。

仲間を思う気持ちが生んだ日本一への軌跡

―素晴らしいチームですね。ただ3年時にイップスになった投手がいたんですよね?

その投手は春のオープン戦で一番好成績を残していたんですが、練習試合ですっぽ抜けたボールがバッターの頭部に当たってしまい、イップスになってしまって。すごく落ち込んでいましたが、諦めずに毎日最後まで残って投げ込みをしていたんです。本当に頑張っていて、みんなも彼の姿を知っていたので、刺激を受けて練習に対する熱が高まっていきました。

―復活することはできたんですか?

夏の県大会直前の詰所合宿のときに、大部屋でくつろいでいたら数人の3年生が「5点差つけたら彼に投げさせてあげられるんじゃないか?」と相談し始めたんです。投手起用は監督次第ですが、「彼のために5点差をつけるぞ」と決まりました。私は部屋の後方でその話を聞いていましたが、彼のいないところで彼に寄り添っている姿に「すごく良いチームだな」と感心しました。

県大会初戦は5点差をつけることができず、決勝戦も6回終了時で0-0でした。正直厳しいと思いましたが、そこから一点一点積み重ねて、9回表に私のスクイズが決まり5-0になったんです。そして9回裏、私がツーアウトまで投げると、監督が彼をマウンドに送り込んでくれたんです。私はサードの守備位置について、みんなと「絶対にしのぐぞ」と目配せしました。結果的に連続四球で満塁になりましたが、最後は素晴らしいボールを投げ込んで、サードゴロに打ち取り優勝することができました。

後日、監督が「満塁になったら変えようと思ったけど体が動かなかった。今後の彼の人生を考えると交代の判断はできなかった」と話していました。監督が一番頑張っていた彼を最後まで信じて、私たちも目標を実現することができた。選手の思いと監督の采配がリンクした瞬間でした。

―胸が熱くなりました!近畿大会も接戦を勝ち抜きましたね。

「ミスなくいつも通りの野球をしよう」、「自分たちは打てないけどゼロに抑えたら負けないんだ」、そんな気持ちで戦っていました。接戦ばかりでしたが、不思議と負ける気はしなかったですね。

―いつも通りに野球をする、これは本当に難しいことだと思いますが。

浮き足立つことも、油断することもなく、監督の指示を一生懸命に遂行しただけなんです。
自分たちは下手だったので、「守り勝つしかない」、「打てなくてもいつものことだ」と思っていたので、焦ることもありませんでした。

―5年ぶりに出場した全国大会でも、大熱戦の連続でしたね!

初戦は0-2のビハインドを終盤に追いつき、延長14回3-2のサヨナラゲームでした。準々決勝は1-4で9回の攻撃に入りました、一死満塁から内野ゴロで2点差。ランナー2人いましたがツーアウトで私が打席に入りました。「正直終わりかな」と思いましたが、三塁線を抜く同点タイムリー二塁打。自分の力ではないような不思議な感覚でした。延長13回5-4で勝ち上がると、準決勝も延長10回1-0サヨナラ。決勝戦は大応援団の声援を背に、5-0の完封で初優勝を飾ることができました。

三振で日本一を決めた瞬間の大瀬さん

日本一よりうれしかったこと

―見事な初優勝、そして秋の国体も制して2冠を達成しました。当時のチームの強さはなんですか?

なんですかね(笑)。野球云々より、誰一人自分よがりの選手がいなくて、チームが勝つために自分ができることを意識して練習していました。そして自分のことより苦しんでいる仲間に気遣いができる、各々の活躍を心から願える、そんなチームだったから良かったのかなと思います。

―なぜそのようなチームになれたんですか?

お道の信仰のおかげかもしれません。信仰がベースにあるから、自分よがりにならず謙虚な気持ちでいれて、人のために心を使うことができたのかなと。負傷した選手がいたら、たすかりを願って参拝に行ける環境も有難かったです。

―天理高校の魅力ですね。軟式野球部での一番の思い出はなんですか?

日本一になりましたが、あの仲間と一緒に目標に向かって頑張ることができたプロセスは最高の経験でした。イップスに苦しんだ彼が、卒業前に北寮の感話大会で「こんな状態だったにもかかわらずチームメイトが自分に投げさせてくれたことに感謝したい」と話してくれました。日本一になったときより、この言葉を聞けたときの方がうれしかったです。結果よりも仲間と頑張った3年間の方が幸せでした。

―高校野球は硬式の方が華やかに報道されますが、軟式野球の魅力はなんだと思いますか?

硬式野球に比べると技術的に劣る部分はあるかもしれません。でも、軟式野球は柔らかいボールを使用して打球が飛びにくく、得点が入りにくいからこそ、僅差の試合が多くなります。

だからこそ、日頃の取り組みやチームワークなど、目に見えない力が勝敗に直結しやすいと思うんです。自分よがりなバッティングをする選手が一人でもいると得点できないし、状況に応じた自分の役割を全員がしっかり行うことで得点が入ります。人間力が結果につながり、成果を実感しやすいことが一番の魅力だと思います。だからこそ自分自身を知る経験にもなりました。

あの夏から9年経ち、社会人として働いていますが、軟式野球部で学んだことが生かされています。人生に直結する経験をさせてもらえて有難かったです。

伊勢谷のふりかえり

ある野球解説者が「高校野球は実力と気持ちの比率が5:5、それくらい気持ちが大切」と話していたのを思い出した。
「ノックをまともに受けられなかった」、「本当に下手くそだった」。そう語る大瀬さんの言葉が偽りではないと思えるくらい、気持ちが勝った素晴らしいチームだと感じた。

仲間を思える優しさ、謙虚であり続ける強さ、普段通りの野球を貫ける力が存分に伝わってきた。背伸びせず、その瞬間を楽しめているチームは不思議と勝ち進むイメージがある。

その解説者はステージが上がるほど気持ちより実力が大事になると話しており、未熟な高校生だからこそ気持ちが大切だと続けた。
私たちはまだまだ未熟な青年会員だ。アツさや勢い、とことん寄り添う優しさ、挑戦し続ける愚直さ、そんな「気持ち」が強さになり得る、そんなことを若者から学んだ。

(文=伊勢谷和海 写真=西川定)

大瀬祐治さん/OHSE YUJI

1998年生まれ、天理コスモで野球をはじめ、天理中学では内野手としてプレー。天理高軟式野球部では投手転向を機に頭角を現し、エース兼主将として創部初の全国大会優勝に導き、国体と合わせて二冠を達成。天理大学では軟式野球チームでプレーし、社会人となったいまでも野球に励んでいる。

伊勢谷和海/ ISETANI KAZUMI

1984年愛知県生まれ。天理高校、天理大学卒業後、天理高校職員(北寮幹事)として勤務。好きなスポーツは野球・陸上・相撲・ラグビーなど多岐にわたる。スポーツが好き過ぎて、甲子園で校歌を数回聞くと覚えてしまい、30校以上の校歌が歌える。スポーツ選手の生年月日・出身校も一度見たら覚える。高校野球YouTubeチャンネル「イセサンTV」を開設。ちまたでは「スポーツWikipedia」と称される。


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カテゴリー: イベント
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