隊長の目に映ったタイに灯る信仰の光:HINOKISHINキャラバン9日間の軌跡

タイの熱気、人々の屈託のない笑顔が、今もありありと思い出される。
天理教青年会本部が主催する「第2次HINOKISHINキャラバン」。それは、信仰の喜びを胸に、青年たちが異国の地で汗を流し、かけがえのない感動を見つけた物語である。
第1次隊が切り拓いた道を辿った先に第2次隊が見たものは、全く新しい景色だった。期待、葛藤、そして静かな確信へ――。タイの地で紡がれた9日間の物語を、隊長(淺草:宮内元浩)が語る。
葛藤の先に掴んだ、確かな光

「教祖のお供で来させていただいているんだ」という熱い想いが、隊員たちを突き動かした。その多くが、第1次隊の活躍を映像で目にし、「自分も不思議な御守護をこの肌で感じたい」と願った教会長後継者たち。
彼ら眼差しは真剣そのものだった。
ひたすらに続けた「おさづけ」の日々
バンコク市内の、「チュムチョン」という掘立小屋が肩を寄せ合うように密集する地域へ。彼らはためらうことなく一軒一軒の扉を叩き、人々の苦しみに静かに耳を傾ける。
そして、ひたすらにおさづけを取り次いだ。
あるときは車で3時間、またあるときは8時間かけて、タイの中でも特に貧しいとされる地域の学校へ。言葉の壁を越え、ひのきしんを通じ心を通わせた。
その結果、おさづけの取次総数は96回に上り、学校慰問では500名以上もの人々が共に「おつとめまなび」を勤めた。
数字だけ見れば、第1次隊を上回る輝かしい成果である。しかし、隊員たちの心には、いつしか焦りの色がにじみ始めていた。
答えなき日々と、深まる対話
「なぜ、第1次隊のような鮮やかなたすかりが見えないのだろうか」。
大きな期待を抱いていたからこそ、その問いは重く隊員の心にのしかかる。確かな御守護の姿を感じられないまま時間は無情に過ぎ、日程はすでに折り返し地点を過ぎていた。
まるで目に見えない壁に阻まれているような、もどかしさだけが募る。
実動の合間、隊員たちは対話を重ねた。何度も、何度も。
「いったい神様は、今、私たちに何を望んでおられるのか」
答えを探し求め、ひたすらに親神様の思いに心を寄せた。
その真摯な積み重ねが、やがて彼らに新たな気づきを与える。それは、当初思い描いていた「奇跡」とは違う、もっと温かな「教祖のお導き」、そして大きな「親神様の先回りの御守護」。
それに気づいたとき、隊員たちの胸には、静かだが揺るぎない感動が広がっていった。
継続の先に見た、希望の景色

活動は、点では終わらない。線となり、やがて面となって広がっていく。今回のキャラバンは、その「続けることの大切さ」を、彼らに教えてくれた。
再会がくれた、信仰の確信
「あのときにお祈りしてもらってから、ずっと体の調子が良いんだ。だから、またおさづけをお願いしたい」。
バンコクでの戸別訪問や学校慰問の先々で、彼らの耳にそんな思いがけない言葉が飛び込んできた。それは、第1次隊が出会った人々からの感謝の声だった。
脳梗塞でほとんど寝たきりだった男性。腹痛に顔をしかめていた小さな女の子。手足の痺れが消えないと話していた女性。彼らは皆、晴れやかな笑顔で語りかけてくる。時を経て、確かにそこに息づく「たすかり」の姿。一度きりの活動では決して見ることのできなかった光景だった。
回を重ねること、続けていくこと――。その本当の大切さを、誰もが深く胸に刻んだ。
現地の信仰に灯した、新たな炎
今回キャラバン隊が訪れた「チュムチョン」は、現地の人々でさえ「怖い」と感じて足を踏み入れにくい場所。だが、隊員たちは、若さとひたむきさを武器に、臆することなくその中へ飛び込んでいく。
所長は、その姿が現地の教友たちの心に勇気を与えていると語る。事実、最近になって自発的ににをいがけを始める教友が現れ始めたという。
キャラバン隊の活動が、灯ったばかりのその小さな炎に油を注ぎ、さらに大きく燃え上がらせる力になるのなら、これ以上の喜びはない。
まとめ

第2次HINOKISHINキャラバンは、単なる奉仕活動ではない。それは、理想と現実の狭間で悩み、仲間との対話を通して親神様の思いを探り、そして、「継続」の先にある確かな御守護をその目で確かめた、かけがえのない信仰の旅路であった。
タイの地で得た、言葉に尽くせぬ感動と新たな決意を胸に、隊員たちはまたそれぞれの場所で次の一歩を踏み出す。その背中は、未来への希望に満ち、確かに輝いている。
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