シュウヨウカメモリーズ#5

今回インタビューしたのは、高橋真里さん。

天理教校学園、専修科とおぢばで過ごした高橋さんは、素晴らしい仲間に囲まれておぢばが大好きになった。

修養科も絶対に楽しいはず!と思っていたが、身上を抱える信者さんに付き添っての修養科は、思っていた以上に過酷なものだった。

はじめは喜べずにいたが、3ヶ月目を迎える頃には付き添いで良かったと思えるようになったという。

第5回目のシュウヨウカメモリーズは、そんな彼女のメモリーをお届けする。

今回インタビューしたのは

Name:高橋真里さん
Age : 24歳
From :滋賀

とにかくおぢばが大好き

「とにかくおぢばが大好きなんです」

満面の笑みでそう答えてくれたのは、今回インタビューした高橋さんだ。おぢばが好きな理由について、学生時代を振り返りながら答えてくれた。

「中学三年生の時に参加した『夏のこどもおぢばがえり』で、天理教校学園の先輩方がひのきしんをしている姿がとても輝いて見えたんです。そのとき、『自分も教校学園に行きたい』と思いました」

その後、念願の天理教校学園に進学した高橋さん。おぢばでの生活は充実していたと振り返る。

「慣れない集団生活で大変なこともありましたが、仲間と共におぢばで生活する中で、私はおぢばが好きなんだと思うようになりました」

教校学園卒業後、専修科へ進んだ高橋さん。そこでの生活はきびしさはあったものの、それ以上の充実感を得られたという。「先生方は、私が間違った方向に進まないように常に導いてくれてました」と感謝をにじませながら懐かしそうに語ってくれた。

その後、自教会へ帰った高橋さんは、教会の御用をつとめながらアルバイトをはじめた。おぢばでの信仰生活が充実していた分、日常での信仰との向き合い方に戸惑ったという。

「アルバイトをはじめてから、教会の朝夕づとめに出れないことが続いたんです。また、アルバイト先での自分の通り方が教えとズレていると感じることも増えていきました。このままでは良くないと思い、修養科へ行きたいと祖母に相談しました。ところが、『誰かの付き添いで行かせてもらいなさい』と言われたんです。もしかしたら、今一人で修養科へ行っても、楽しいだけで終わってしまうだろうという親心だったかもしれません。その時は修養科を諦めました。でもそれからしばらくして、付き添いで修養科へ入ることが決まったんです!」

おぢばはたすかるところ

付き添いでの修養科が決まった高橋さん。その経緯について教えてくれた。

「昨年、教会の信者さん(古株さん・81歳)が交通事故に遭い、足の大腿骨を怪我をされたんです。しかも骨が内蔵に刺さり、一時は意識不明の状態に陥りました。ところが奇跡的にご守護いただいたんです。お医者さんもびっくりしていました。

その後、少しの距離なら歩けるまでに回復し、ご守護いただいたお礼に修養科へ行くことが決まり、私が付き添うことになりました」

付き添いでの修養科生活

古株さんの奇跡的なご守護に対するお礼でおぢばへ行けることはもちろんだが、それ以上におぢばで生活できることに喜びを感じた高橋さん。ところが、付き添いでの修養科生活は想像以上に過酷なものだった。

「慣れない修養科生活と24時間付きっきりの介護生活で、心身ともにくたくたになりました。授業中も『何を言っているか聞こえないし、黒板が見えない』と言うので、授業内容を伝えるのも大変でした。正直、初日から『もうむり~~』ってなりました笑」

「実は、修養科が始まってしばらく経ったとき、古株さんが長距離でも歩けるようになったんです。それだけ聞くと奇跡に次ぐ奇跡なんですが、その時の私はぜんぜん喜べなくて、私自身本当にしんどかったんだと思います」

教祖がたすけてくださる

付き添いで自分の思うように過ごせない状況に喜べずにいた高橋さん。そんな彼女が、「私もおたすけ心で通らせてもらわなあかん」と思うようになったきっかけを話してくれた。

「クラスメイトの同性代の子らは積極的におさづけの取り次ぎをしていたんです。私もさせてもらわなあかんなと思いつつも、自分のことで精一杯でなかなか取り次ぐことができませんでした。そんなとき、ある先生が講話で、『教祖教祖と念じていたら、絶対にご守護くださる』というお話をしてくれました。それを聞いて、『そっか、私がたすけるんやなくて、教祖がたすけてくださるんや』と思ったんです。それから、できるだけ多くの人におさづけの取り次がせてもらおうと決めました」

「数日後、クラスのおばあちゃんが急に肩が痛くなり、おさづけをして欲しいと言われました。私は講話で聞いたとおりに『教祖教祖』と念じておさづけをしました。そしたら、翌朝に、肩の痛みがなくなったと報告を受けたんです。

今まで鮮やかなご守護を目の当たりにしたことがなかったので、純粋にすごいと感じたし、『教祖がたすけてくださった』と実感しました」

とつぜん左耳が痛くなり聞こえなくなった。

2ヶ月目に入った頃、高橋さんは突然左耳が聞こえなくなったという。その時の出来事について語ってくれた。

「はじめは中耳炎だろうと思って病院に行ったんですが、まさかのストレスによる突発性の難聴だったんです。子供の頃から、『耳の身上は、聞く耳を持たないからや』と言われてきましたが、正直、その時はそういったお諭しが心に入ってきませんでした。

ある日の朝礼の時、クラスメイトの同級生が私のところにきて、「この前熱が出たときに、自分はこういう埃を積んでいたと思うから改めようと思う」と話してくれたんです。

それを聞いて、修養科へ入る際に母親から、『自分のいんねんを切ってもらうために付き添いに来ていると思ったら喜べるよ』と言われたのを思い出しました。

1ヶ月目はお世話取りに精一杯で、そんなことを意識する余裕はなかったんですけど、身上を頂いて、友達の悟りを聞いて、急に母親の言葉が頭に浮かんだんです。それからは前向きに優しい心で通ろうと思いました」

付き添いで修養科に入ってよかった

はじめは喜べなかった高橋さんだったが、3ヶ月目を迎える頃には、付き添いで良かったと思えるようになっていった。その理由は古株さんの信仰姿勢だという。

「古株さんは、修養科が始まってどんどん元気になっていきました。休みの日も『ひのきしんさせてもらわなあかん』って自らすすんで草引きをするんです。その姿を見て、自分も誰かのために動かせてもらおうと思いました」

「修養科が始まった当初は自分のことしか考えられなくて、腹を立ててしまうことが多かったです。修養科では、自分の埃や癖性分に向き合えた3ヶ月になりました。そう思えたのも、付き添いで修養科に来られたからだと思います。付き添いを勧めてくれた家族、そして、きっかけをくれて3ヶ月間共に生活してくれた古株さんに感謝です」

さいごに

インタビューの終わりに、修養科中に何か嬉しかったことはありましたかと尋ねた。

すると、

「修養科が終わる頃に、『本当の孫みたいや』って古株さんが言ってくれたんです」

と満面の笑みで明かしてくれた。

修養科では大変なことも多かったと話してくれたが、それを語る高橋さんは常に笑顔だった。どんな中でも喜びを見つけることができる彼女だからこそ、古株さんとの信頼関係がより深まったのだろう。そして、その喜び探しを支えるのは「おぢばが大好き」という彼女の純粋な信仰だと感じた。

修養科とは

そこには⼀⼈ひとりのドラマがあり、かけがえのない思い出となってそれぞれの胸に刻まれていく。3ヶ月間、親神様・教祖のお膝元で様々な人々が、寝食を共にし、教えを学び、“陽気ぐらし”という人間本来の生き方を学ぶ場所。それが修養科である。

⼈類のふるさと、おぢばに伏せ込む3ヶ⽉。全国各地から⽼若男⼥が寄り集い、共に過ごす時間の中で信仰を深めるとっておきの時間。

>>修養科のホームページはこちら

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