シュウヨウカメモリーズ#3「たすかりたいから、たすけたいへ」

今回インタビューしたのは、フランスからはるばる修養科に入ったバシュール紗織さおりさんだ。

紗織さんは6年前に「パニック障害」と診断され、苦しい日々を過ごしていた。

「どうにか身上をご守護いただきたい」

そう思った時に頭に浮かんだのが「修養科」だったという。

そして、修養科で見せていただいたご守護の姿は意外なものだった。

第3回目のシュウヨウカメモリーズは、そんな彼女の修養科でのメモリーをお届けする。

今回インタビューしたのは

メモリーNo.3
Name :バシュール紗織さおりさん
Age : 30歳
From : フランス

修養科に入ったきっかけ

フランス人の夫との出会い

天理で生まれ、学生時代、本部勤務までの約20年間をおぢばで過ごした私は、天理以外の町で生活してみたいと思い、大阪で仕事をしていました。その時、友人の紹介で知り合ったのがフランス人である現在の夫です。

紹介されたときは「えっ、フランス人?!」ってすこし躊躇したのを覚えています(笑)

でも、友人の後押しもあり、交際に発展。数年のお付き合いを経て結婚しました。

結婚後、ほどなくして夫の転勤をきっかけに東京で暮らすことになりました。

突然のパニック障害

東京での新婚生活が始まり、私も仕事を始めました。

ある日、仕事に向かおうと満員電車に乗っているときに、突然、発作が出たんです。医師の診断は「パニック障害」でした。私はそれまで大きな身上もなかったのでショックが大きかったです。パニック障害になってからは、満員電車や人混み、行列に並ぶこともできず、とても東京で暮らせる状態ではありませんでした。

夫が職場に相談してくれて、転勤前に勤めていた神戸に戻ることになりました。

ところが、二年後、次は夫が職場で精神的にしんどくなってしまったんです。やむなく退職し、夫の母国であるフランスに家族で移住することを決めました

慣れないフランスでの生活

フランスに引っ越したものの、フランス語を全く話すことができない私は、語学学校に通うことにしました。ところが、当時はコロナパンデミックの真っ只中。語学学校で起きたクラスターに巻き込まれ、私と夫がコロナウイルスに感染してしまいました。そのとき、これまでにないくらい大きな発作が起こったんです。それ以来、いつ発作が起こるかわからない、鬱々とした日々を送っていました。人生を辞めてしまいたい」と思うこともありました。

どうすれば良いかわからず、暗闇の中を彷徨っていた私の脳裏に、ある時ポンっと「修養科」という言葉が神々しいくらいの光を帯びながら浮かんだんです。なぜだかわかりませんが、「修養科に行けばたすかる」と直感的に思いました。

私はすぐに「修養科に行きたい!」と夫に相談しましたが、答えは「ノー」でした。

無神論者の夫からすれば、修養科のことも良く理解できなかったでしょうし、当時の私は精神的にとても不安定だったので、娘を連れて日本に帰ったら、もうフランスには戻ってこないのではないかという不安があったのだと思います。

私の修養科行きは一旦保留になりましたが、その代わりに、天理教ヨーロッパ出張所へ行くことを許してもらいました。

ヨーロッパ出張所への日参

ヨーロッパ出張所は自宅から徒歩30分ほどのところでしたが、一度も参拝したことがありませんでした。私自身、もともと信仰に熱があるタイプではありませんでしたし、当時は信仰から遠ざかっていたので。それでも、藁にも縋るような気持ちで出張所に向かいました。

参拝だけして帰ろうと思っていましたが、「お茶でも飲んでいきなよ」と優しい声で引き止められたんです。出張所長さんと奥さんでした。客間のような部屋に案内され、お茶とお菓子をいただきました。「フランスにもこんなに人のぬくもりを感じられる場所があるんだ」と感動したのを覚えています。気がつくと、私は自分の中に溜め込んでいた悩みを吐き出すように話していました。

ひととおり話を聞いてもらい、最後におさづけを取り次いでもらいました。全身の緊張が一気に緩んだように感じ、自然と涙が出たのを覚えています。相当、気を張り詰めていたんだと思います。

その後、出張所へひのきしんに通うようになり、皆さんの温かい対応のお陰で、すこしずつ元気になっていきました。

それから半年ほど経った頃でしょうか。出張所へ通う度に元気になって帰ってくる私の姿を見て、夫は、「娘の幼稚園が休みの期間なら修養科に行っても良いよ」と言ってくれたんです。

修養科での生活

2022年4月、いよいよ私の修養科生活が始まりました。

どうかパニック障害をご守護いただきたい。私は神様に縋る想いで「たすかり」だけを願っていました。

ところが、すぐにはご守護を頂くことができませんでした。むしろ、慣れない集団生活に戸惑い、症状は悪化する一方。たくさんの人がおさづけを取り次いでくれましたが、発作は不定期に起こりました。

授業中は一番後ろの席にしてもらい、教室の扉は開けたまま。それでも閉塞空間に耐えきれず泣き出してしまうことも少なくありませんでした。念願の修養科だったにも関わらず、フランスに帰りたいと弱音を吐いてしまうこともしばしば。ほんとうに周りのみなさんには心配をかけてばかりで申し訳なかったと思います。

「たすかりたい」から「たすけたい」に

ある日、詰所の夕づとめの時間に私は鳴り物をつとめていました。その最中に突然発作が起こったんです。苦しくて涙が止まりませんでしたが、途中で鳴り物を止めるのは申し訳ないと思い、なんとか最後までつとめきりました。

おつとめの後には「おさづけの時間」があります。私は、先に部屋に戻って休むつもりでした。が、おつとめを終えた直後、不思議と「誰かにおさづけを取り次ぎたい」と思ったんです。

私は必死になって同じ詰所の修養科生さんにおさづけを取り次ぎました。思えば、修養科に来て初めて他人におさづけを取り次ぎました。夢中になっていたので、終わってから気がついたんですが、不思議と私の発作は治まっていました。こんな経験ははじめてでした。

それまでは、自分はおさづけを取り次いでもらう側だとばかり思っていました。誰よりも自分が一番しんどくて、「たすけてほしい」と、自分のたすかりばかりを願っていました。

その体験があってからは、自分のことだけでなく、周りの人にもたすかってもらいたいと思い、積極的におさづけを取り次ぐようになりました。

自分が「たすけて、たすけて」と思っている時は、なかなか上手くいかなくて、自分に向けすぎていた矢印を相手に向けると結果的に自分がたすかるという体験、が修養科中何度もありました。

「人をたすけて我が身たすかる理」を感じた瞬間でした。

「今」がちょうどいい

修養科では先生方やクラスメイトをはじめ、たくさんの方が私を支えてくださったおかげで、パニック障害の症状は少しずつ治まっていきました。しかし一方で、フランスに戻ったらまた悪化するんじゃないかという不安もありました。

そんなとき、主任先生が朝礼の挨拶で、髙井猶久なおひさ先生が生前に残された詩を紹介して下さいました。

「心配ない」
俺は俺でちょうど良い
お前はお前でちょうど良い
顔も姿もそれで良い
親子夫婦兄弟姉妹でも
皆それぞれにちょうど良い
怒り喜び、陽気悲しみさえも
それはそれなりにちょうど良い
俺の歩んだ人生は
それはそのままちょうど良い
親神の下さる守護なら
ちょうど良くないはずはない
我が事は何にも心配ない

主任先生が紹介して下さった髙井猶久なおひさ先生の詩は、まさに今の私に向けての言葉だと感じました。どんな時も、親神様がお見守りくださるのだから、「ちょうど良くないはずはない、我がことは一切心配ない」と心から思えたんです。そして、今が満ち足りているのだということに気づくことができました。

パニック障害の身上を頂いた時はすごくしんどくて、「なぜ私が?」ってずっと思っていました。

今思えば、それも含めて全てがご守護なんですね。パニック障害でさえも、神様からのプレゼントだったんだと感じるようになりました。

修養科に入った当初は、「パニック障害を治してほしい」と願っていましたが、今は、「そうじゃないのかも」と思うようになりました。身上を与えていただき、フランスで苦労したおかげで信仰をつかむことができたと思うんです。パニック障害が完治することはありませんでしたが、今はこの身上と上手に付き合っていくことができています。完治するよりも、むしろ少しくらい「しるし」を残してくださっている「今」がありがたい。おかげで私と同じような境遇の人に寄り添いたいと思える自分になることができました。

フランスへ帰っても、たくさんの方の心に寄り添い、辛い経験をした自分だからこそできるおたすけに踏み出したいです。

「今がちょうど良い!」

立派なようぼくに育ちます

実は、修養科中にもう一つ大きなご守護がありました。これまで天理教の信仰に対して肯定的ではなかった夫が別席を運んでくれることになったんです。

修養科中におさづけの凄さに改めて気付かされた私は、「フランスに帰ってからも、いつもそばにおさづけを取り次いてくれる人がいてくれたらどれだけ安心なことか」と思い、夫に別席を勧めていました。

でも、無神論者の彼はなかなか別席を運ぶ気にはなってくれませんでした。

ところが、別席を勧めてから約2週間が経ったある日、「紗織がたすかるなら別席の話を聞くよ」と私のためにとようぼくになる決心をしてくれたんです。

私がパニック障害になったのは、私達家族をおぢばに導くための神様からのプレゼントだったんだと心から感謝しました。

おわりに

インタビューが終わりに差し掛かった頃、紗織さんは「そういえば面白い事がありました!」とおまけのエピソードを話してくれた。

「ある日、娘と2人で廻廊ひのきしんをしていた時に、娘が不意に『立派なようぼくに育ちます』って言ったんです。おそらく、託児所で毎日少年会の誓いを言っているので覚えたんだと思います」

それがちょうど、紗織さんの旦那さんが別席を運ぶ決意をした頃だという。私はそこに神様の思惑があるとしか思えなかった。

インタビューから数日経った7月13日 、

紗織さんの旦那さんは無事におさづけの理を拝戴し、家族揃ってフランスに帰っていった。修養科を通して、教えを元に家族の絆で結ばれた素敵なバシュール家。フランスでもきっと周りの方に良い薫りを届けていくに違いない。

修養科とは

そこには⼀⼈ひとりのドラマがあり、かけがえのない思い出となってそれぞれの胸に刻まれていく。3ヶ月間、親神様・教祖のお膝元で様々な人々が、寝食を共にし、教えを学び、“陽気ぐらし”という人間本来の生き方を学ぶ場所。それが修養科である。

⼈類のふるさと、おぢばに伏せ込む3ヶ⽉。全国各地から⽼若男⼥が寄り集い、共に過ごす時間の中で信仰を深めるとっておきの時間。

>>修養科のホームページはこちら