
おぢばの境内の片隅。木村一信さんは、しゃがみ込んで、黙々と草を抜いている。
誰と喋るでもなく、ただ手を動かす。
心が少しざわついた日、彼はこうして草を抜く。
「結構、草抜くことが多くて」
ラグビー一筋の少年時代を経て、今はおぢばで青年として日々を送る一信さん。多趣味で、人懐っこい。けれど本人いわく、「腹を立てやすい」。その彼が見つけた自分をみつめる方法は、ずいぶんと地味で、ずいぶんと誠実だ。
一信さんは、とにかく多趣味だ。筋トレ、コーヒー、編み物、人の散髪、動画編集。ジャンルはバラバラだが、共通しているのは「いいな」と直感で思えるもの。
「いろんな人の影響を受けやすい、感化されやすいタイプなんで。『あ、いいな』と思ったら『やってみよう』って」
コーヒーは頂き物の豆をミルで挽いて、朝や休憩時間に淹れる。その横で編み物をする。散髪は天理教校本科実践課程の在学中に始めて、今も仲間の髪を切る。
「まあ、喜んでくれるのが一番なんで」
休みの時間を、人のために使う。それを彼はあっさりと言う。
この身軽さは、教会で育った日々と無縁ではない。御用で親が留守の時、教会の人たちがご飯を作り、「一緒に寝よか」と声をかけてくれた。
「自分一人では生きていけない」
そう気付いたからこそ、周りのありがたさがわかる、と一信さんは言う。
100回という節目に、仲間とともにおぢばへ帰る。式典、前日行事、前夜祭、総会関連企画の情報を特設ページで順次公開しています。
心がざわついた時期

実践課程に入った頃。同じ志を持って集まった仲間との共同生活で、見えてきたのは「良いところ」よりも、むしろ「良くない部分」だった。
「同じことをしていても、こっちは真剣にやってんのに、何で適当にやってんねん、とか」
夏は朝づとめが早くなる時期。眠いのはお互い様だとわかっている。それでも、つい相手に「ちゃんとやれよ」と求めてしまう。
「自分の成人の至らんところやなあって、すごい思う」
もともと自分はこうまんで、腹を立てやすいタイプだ、と一信さんは隠さずに話す。調子が悪いと、自分のことが第一になってしまう。
そんな自分に、彼は気づいている。
変わったきっかけ

転機の一つは、困っていた時にふと開いた本の中にあった。実践課程の頃、先の見えなさに「もう辞めたろかな」と、逃げ道ばかり探していた時期があったという。
そんな時、「人の言う事を腹を立てる処では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。」(「おさしづ」M20・3・22)というおさしづを教えてもらった。
目の前の先生の口を通して、神様から「今、お前に」と言われているように思えたという。それから彼は、物事を考える基準を、教えに置くようになった。
心を澄ます、小さな工夫

ざわついた心を、一信さんはまず「抑える」。自分は自分、相手は相手。相手にあれこれ思いを巡らせる前に、いったん、ぐっと止める。それでも残る時は、草を抜く。
「黙々と、喋らずにする。その時に、相手の立場になるんです」
土に向かって手を動かしながら、相手の側から物事を見てみる。すると、ぽつりと見えてくる。「自分の知らないところで苦労しているから、あんな態度だったのかもしれない。そう思えると、「もう、しゃあないか」と、すっと力が抜ける。何が飛んできても、ぐっと耐えられる、ぶれない心。
「それが自分の中では、『優しい心』やと思ってて」
不足を、先に口に出さないのもコツだ。言えば必ず「お前もそうやんけ」と返ってくる。だったら、黙って草を抜く。最近は、もう一つ手応えがある。身の回りに心臓を患う人が増え、「腹を立てない過ごし方」を考えるうちに、自分の心の動きに気づけるようになった。
「ちょっと前までは、『あ、俺今、腹立ってしまってるわ』とそれすら思えていなかったんです」
腹立ちが消えたわけではない。けれど、気付けるようになった。
「使ってることに気付けたのは、一つ、成長なのかなって」
はらだちのほこりに

一信さんの信仰の原点は、15歳の夏にある。
天理高校でラグビーに打ち込んでいた頃、急性糸球体腎炎にかかった。尿が出なくなり、3日で体重が五キロ増えた。全部、水分だった。学ランがパンパンになるほど体がむくみ、高熱が出て、絶対安静で入院した。お見舞いに来てくれたのが、ラグビー部OBの先生だった。先生は、おさがりのお水を持ってきてくれた。一信さんは、その場でそれをいただいた。
すると翌朝。
「もう、止まらんくらい出て。2リットル以上。鮮やかにご守護をいただきました。」
当たり前に動いていた体が、当たり前ではなかった。けがなく、病気なく過ごせること。それがどれほどのことか、十五歳の彼は思い知った。
「特になにも考えていなかったが、毎朝のおつとめが、お願いとお礼に変わったんです」
自分から信仰する。その始まりだった。
同じように悩んでいる人へ
正直、彼は「心を澄ます」を意識して暮らしてきたわけではない、と言う。むしろ、この取材の話が来た時、戸惑った。
「なんで、『心を澄ます』ことがわかってない自分に、この話が回ってきたんやろって」
それでも、と一信さんは続ける。意識していなくても、自然とそのサイクルで動けているなら、それはきっと、自分が置かせてもらっている場所のおかげだ、と。
「周りの人の、『言わないけど』の心が、少しずつ自分に染み込んでくるんです。いい先輩が、いっぱいいるので」
腹を立てやすい自分を、まず認める。気づく。そして、黙って草を抜く。完璧じゃなくていい。今日もできることから「心を澄ます毎日を。」を歩んでいく。
取材を終えて

インタビューの最後、一信さんは何度も「まとまりのない話で」と照れていた。けれど、話の一つ一つには、確かに芯が通っていた。腹を立てやすい自分から目をそらさず、草を抜きながら相手の心を思う。その地道な繰り返しの中に、彼なりの「心を澄ます」が、静かに息づいていた。
澄ましびとインタビューは、日々の暮らしの中で「心を澄ます」工夫をしている青年会員の姿を紹介する連載です。「普通の私たち」の、等身大の物語をお届けします。
次回もお楽しみに。