
2026年8月7日から13日までの1週間、タイ・バンコクを中心に「第3次HINOKISHINキャラバン」を実施した。
スタッフ3名、隊員6名の計9名が現地に赴き、言葉も文化も異なる異国の地で、ゴミ拾いやにをいがけ、おさづけの取り次ぎ、そして現地の子どもたちとの「あおぞら日本語教室」など、ひのきしんに汗を流した。
連日お届けしてきた活動レポート(Day1〜Day6)では、戸惑いながらも一歩を踏み出した隊員たちの生の声をお届けした。
その隊員たちの挑戦を一番近くで支え続けたスタッフ陣は、あの熱い日々の中で何を感じたのか。
今回、現地に赴いた田中亨典隊長、仲野大吾委員、松村天晴委員の3名に、キャラバンを終えての率直な所感をじっくりと語り合ってもらった。
– 田中亨典(第3次隊 隊長・副委員長):
今回初めてHINOKISHINキャラバンに参加。隊長としてチームを率いながら、「一れつきょうだい」の教えを肌身で実感した。
– 仲野大吾(タイ語通訳・副委員長):
事前視察、第1次隊、第2次隊、そして第3次隊とすべての派遣に携わる。現地の言葉と文化を熟知し、集落と隊員たちとの架け橋として奔走した。
– 松村天晴(スタッフ・海外部委員):
隊員たちの生活面やメンタルケアを親身にサポート。初日の不安から最終日の輝く笑顔に至るまで、隊員6名が殻を破って成人していく姿を最も近くで見守った。
異国の地で向き合った「分け隔ての心」

皆さん、第3次HINOKISHINキャラバン、お疲れさまでした!連日のDay1〜Day6レポートでは隊員たちの奮闘が伝わってきましたが、今回はスタッフの皆さんに現地の所感を伺います。
まず田中隊長、今回初めてキャラバンに参加されて隊長を務められましたが、現地へ足を踏み入れて率直にどう感じましたか?
田中隊長:
今回、私たちはバンコク市内にある「チュムチョン」と呼ばれる集落で活動させていただきました。第1次隊、第2次隊の先発隊が継続して通ってくださっていた場所に、私たち第3次隊も入らせていただきました。
そこで一番強く感じたのは、「かしもの・かりもの」の教えが、この集落の方々に確かに届き始めているという手応えでした。その実感を肌で味わえたことが、何より嬉しかったですね。



「心境の変化」という点では、どうでしたか?
田中隊長:
最初にチュムチョンへ足を踏み入れたとき、言葉も生活習慣、衛生環境もまったく違う。漂ってくる匂いや食べるものも、日本とかけ離れていると感じました。
そうした環境に身を置いた瞬間、恥ずかしながら、私自身の心の中に、「分け隔ての心」が生まれてしまったのです。
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「分け隔ての心」というのは?
田中隊長:
「この人は自分とはあまり関係のない人だ」「この人はこの人、自分は自分だ」という、どこか一線を引いてしまうような感覚です。日本にいるときも無意識のうちに人との間に距離を作ってしまうことがありました。けれど、海外という極端に環境が違う場所へ行ったことで、「今、自分は相手を分け隔てているな」と、痛烈に自覚したのです。
しかし、5日間毎日その集落へ通う中で、その心の壁が崩れていきました。
身振り手振りで言葉を交わし、相手の痛みに耳を傾け、目を合わせるうちに、「同じ親神様の子どもであり、きょうだいなんだ」という思いが胸いっぱいに湧き上がってきました。
知識として知っていた「一れつきょうだい」という教えが、理屈ではなく、実感として自分の心にスーッと落ちてきました。あの心の変化は、私の人生にとって本当に大きな体験でした。
警戒から信頼へ――通い続けて開かれた、心の扉





仲野委員は事前の視察から第3次隊まで、すべての派遣に関わってきました。回数を重ねることでどんな変化を感じましたか?
仲野委員:
第3次隊から参加した隊員たちは、最初から温かく迎えてもらえたように感じていたと思います。しかし、最初の視察で足を踏み入れたときは、ものすごく強い警戒感を感じました。
チュムチョンはコミュニティの結びつきが非常に強く、タイ人であっても入るのを躊躇するようなエリアです。
正直にお話しすると、今回の第3次隊でもにをいがけに入る直前まで、私はものすごく緊張していたんです。



3回目であっても、そこまでの緊張感があったのですか?
仲野委員:
ありました。
第1次隊で「受け入れてもらえた」と感じて帰国しても、数カ月後の第2次隊で再び入ってみると、関係性がリセットされているような感覚があったからです。
今回の初日も、第2次隊で親しく話したお宅へ行き「私のこと、覚えていますか?」と尋ねたら、「……覚えてない」と言われてしまいました。
それでも毎日、隊員たちと一緒に同じ路地を歩き、笑顔で声をかけ続けました。
すると、これまでにないほど集落の方々と深く関わることができ、継続して訪問できる「通い先」が何軒もできていったんです。
「明日も来てほしい」「次はいつ来るんだ?」と声をかけてくださる方や、私たちが訪ねていく時間に合わせて、家の前に冷たい飲み物や食べ物を用意して待っていてくださるお宅まで現れました。





関係性が大きく変わっていったんですね。
仲野委員:
はい。そして決定打となったのが、最終日に行った「あおぞら日本語教室」でした。
集落の路地裏で、子どもたちを30人以上集めて日本語のゲームや挨拶を教えたのですが、その様子を見守っていた親御さんたちの目が、温かなものに変わっていくのが分かりました。
「見返りを一切求めず、自分たちの子どもや家族のために汗を流してくれる人たちなんだ」と、集落全体が理解してくださった瞬間でした。
最初の視察で感じたあの刺すような警戒感から、心から笑顔で迎え入れてくれる関係へ。足を運び続けること、種を撒き続けることの大切さを、身をもって教えてもらいました。
一番近くで見ていた「隊員たちが殻を破る瞬間」





その現場で実際に足を運び、汗を流したのは6名の若き隊員たちでした。松村委員は、隊員たちの変化や成長をどのように見守っていましたか?
松村委員:
本当に胸を打たれる場面ばかりでした。
日本を出発する前や現地初日は、みんな緊張と不安でガチガチだったんです。「言葉も通じないのに、自分に何ができるんだろう」という恐怖心があったのだと思います。
初日の夜の振り返りでも、「何もできなくて無力感を感じた」と、涙ぐみながら語る隊員もいたほどです。
でも、宿舎に戻ってから、隊員同士で「自分も今日、声をかけるのが怖かったよ」「でもあのおばあちゃんが手を合わせてくれたとき、嬉しかったよね」と、語り合いました。誰一人として格好をつけず、互いの悔しさも喜びも受け止め合ったのです。



仲間同士で支え合える空気感が、隊員たちの勇気を引き出したんですね。
松村委員:
まさにそうです。2日目、3日目と日が経つにつれて、隊員たちの顔つきが変わっていきました。
ある隊員がポロッと言った言葉が今でも忘れられません。
「初日は『自分が何かをしてあげなきゃ』『自分が教えを伝えてやるんだ』と力んでいた。でもそれはおごりだった。相手を変えようとするのではなく、まず自分が心を開いて笑顔にならなきゃいけなかったんだ」と。
タイ語のカンペを握りしめ、身振り手振りでコミュニケーションを取りながら、必死におさづけを取り次ぎ、「明日も必ず来ますからね!」と満面の笑みで手を振る隊員たちの後ろ姿を見ながら、「彼らは今、本当のあらきとうりようとして立ち上がっているな」と、私自身が熱い勇み心をもらいました。
「ひのきしんって何?」――背中の文字から始まった対話





最終日に忘れられない場面があったと聞きました。
仲野委員:
あおぞら日本語教室の後の片付け中のことです。
集落の男性がふらっと近寄ってきて、私の背中を指差しながら、タイ語でこう尋ねてきたんです。
「ねえ、その背中に書いてある『HINOKISHIN』って、一体どういう意味なんだ?」と。
「ひのきしんというのは、神様からお借りしているこの身体で、日々生かしていただいていることへの感謝を、行動として表すことなんです。」
「神様は、人間同士がたすけ合い、仲良く暮らす姿を見て一番喜んでくださいます。だから私たちは、誰に頼まれたわけでもなく、見返りを求めるでもなく、日本から自分たちでお金を出してここへ来て、日本語教室を開いたり、病気で苦しんでいる方々のお宅を訪ねてお祈りをさせていただいているんです。すべては神様への感謝から生まれる行動なんですよ」とお伝えしました。
するとその男性は、深く頷きながら、「そうだったのか……本当にありがとう」と、胸に手を当てて応えてくれました。


田中隊長:
あの瞬間は、本当に鳥肌が立ちましたね。
言葉だけで教えを説明しようとしても、異国ではどうしても限界があります。
首尾一貫して「見返りを求めずに尽くす姿」「笑顔で相手の幸せを祈る姿」を通して、相手の心に「なぜこの人たちはこんなに親切なんだろう?」という疑問が生まれる。その疑問への答えとして教えを伝えたとき、相手の心にスッと届くんです。
隊員の中には、おさづけを取り次いだ後に「お御供さん」を手のひらに少し乗せて、「神様のお下がりです」と真心を込めて手渡していた人もいました。
言葉の壁があるからこそ、真心とおさづけの取り次ぎでおたすけに挑む。それこそが、HINOKISHINキャラバンの真骨頂だと感じました。
未来のあらきとうりょうへ
田中隊長:
第3次隊を通して、集落の方々との絆は確実に深まり、「かしもの・かりもの」の教えが届き始める土壌が整いました。
第4次隊と続いていく中で、今回出会った方々がさらに深く教えを心に治め、陽気ぐらしの喜びを感じていただけるような関わりへと発展させていきたいですね。
そして、まだ出会えていない方々へも、「かしもの・かりもの」の教えを届けていきたい。タイの地に蒔かれたこの種を、皆で大切に育てていければと思います。
松村委員:
日本で暮らしていると、どうしても「自分ひとりが動いても何も変わらないんじゃないか」と縮こまってしまいがちです。
でも、タイの地で汗を流し、笑顔を届けた隊員たちが証明してくれたように、一人の真実の祈りと行動は、国境を越えて人の心を確実に動かします。
このキャラバンでの経験は、参加した隊員たちにとって一生の宝物になったはずです。日本に帰ってからも、それぞれの教会や地域で、自信を持って「おたすけの喜び」を周囲に波及させていってほしいと願っています。
仲野委員:
このキャラバンは、世界へ広く教えを広げると同時に、参加した青年会員が「世界に実動するあらきとうりよう」として成人できる場と思っています。
海外布教というと、個人ではハードルが高く感じるかもしれません。
でも、キャラバンをきっかけに現地の空気を肌で知った青年たちが、数年後に「またあの場所へおたすけに行こう」と、息長く世界に関わり続けるよふぼくになっていく。そんな好循環を生み出していきたいですね。
世界は、あなたのその一歩を待っています。ぜひ多くの仲間に、このキャラバンの扉を叩いてほしいです。



熱い想いを語っていただき、ありがとうございました!
おわりに――心を澄まし、海を越えて
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第3次HINOKISHINキャラバンの旅路は、ひとまずの幕を閉じた。
異国の集落で自らの「分け隔ての心」に気づき、一れつきょうだいの教えを実感した田中隊長。3回目のキャラバンで、諦めずに足を運び続ける大切さを再確認した仲野委員。そして、隊員たちの葛藤と成人を誰よりも近くで温かく見守った松村委員。
3人の言葉を通して確信したのは、HINOKISHINキャラバンとは「自分自身の心を澄まし、親神様・教祖の想いを分かろうとする成人の場」なのだということ。
私たちは普段、言葉が通じるはずの日本にいながら、家族や職場の同僚、教会の人々に対して、知らず知らずのうちに「分け隔ての心」を作ってはいないだろうか。
言葉がまったく通じないタイの集落で、彼らが頼ったのは理屈ではなかった。
「笑顔」と「おたすけ」、そして「見返りを求めない姿勢」――相手を変えようとするのではなく、まず自分自身の心に矢印を向けること。
そのような生き方が「あなたの幸運を祈っています」と逆に祈り返されるほどの絆を生んだ。
HINOKISHINキャラバンは、これからも第4次隊へとバトンを繋ぎ、世界中へおたすけを通して「かしものの・かりもの」の教えを届ける。一れつきょうだいのたすかりを祈る旅に、終わりはない。


