
夏の大教会。広い庭は、放っておけばあっという間に草に覆われる。
山﨑さんは、草刈り機を担ぐ前に、まず「装備」を整える。
タオルを巻き、フェイスガードをつけ、日焼け防止のアームカバーまで通して、全身の防御力を上げる。ワイヤーが弾き飛ばす草の破片が顔や首に跳ねてくる、それが、どうしても嫌なのだという。
「他の青年さんは、全然そういうの気にしないんですよ~。すごいですよね。」
そう言って、少し苦笑した。
甲賀分会の山﨑悟さん。5年前、婿養子として結婚と同時に夫婦で大教会に住み込むようになった。今では実行部員と分会委員長を務めている。
その山﨑さんにとって、青年会の基本方針「心を澄ます毎日を。」は、自分の日常を振り返ることができるのだという。
伏せ込みの毎日は、草刈り、トイレ掃除、にをいがけ。教会の御用が、そのまま暮らしになっている山﨑さんは、自分の信仰を、こんなふうに受け止めていた。
「元々は、何か指摘されても『ええやんか、やってるんだから』って。不足しようが、嫌がろうが、やってるのは事実だろっていう思いやったんです」
それが、今回の基本方針を聞かせてもらってから、少しずつ変わってきたという。
「毎日の御用が、自分の心のほこりが原因で、親神様に受け取ってもらえないのが、一番もったいないなと思いました。」
人がどうであれ、仕事がどうであれ。せっかくの行いを、自分のほこりで曇らせてしまう。山﨑さんが自分自身に一番惜しいと感じるのは、そこだった。
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自分のほこりに気づき、反省するのが、いつも遅い

話は、冒頭の草刈りに戻る。
実は最近、汚れずに済むコツを見つけた。草刈り機の持ち方を変えると、破片が自分の前に飛んでいく。便利になった。けれど、そこで山﨑さんは立ち止まる。
「汚れたくないって思ってる自分が、ちょっとカッコ悪いなって思いだして。情けないなあと思ったんですけど……戻れないんですよ。気にしないところまで、もう戻れないんです、、」
防御を固めて、自分の身を守りきってから、「わが身可愛いのほこりやったな」と反省する。それでは、もう遅いのではと感じるという。
「自分の安全圏を確保した上で反省するのは、ちょっとずるいなーって。」
だから「心を澄ます毎日を。」が、こわい。さんげとは、神様への「二度と繰り返しません」という誓いのはずだ。それを毎日立てては破り、また立て
ては破る。
「同じ過ちを繰り返してたら、信用してもらえないじゃないですか。だからもう、僕にとって『心を澄ます毎日』は、『心を定める毎日』なんですよ」
澄ませきれなくても、何度でも定め直す。その繰り返しこそが、山﨑さんにとっての「心を澄ます毎日」だという。ほこりを積まないようにと誓い、2秒後にはまた腹を立てている。その繰り返しに、山﨑さんは神様の信用を失っていく自分を見てしまうという。
「なんなら、ほこりを積みながら、ほこりを払ってるんで」
しかも、そのほこりを払う気持ちにすら、「これを払ったら、またいいことあるんちゃうか」という心が混じる。救いようのない無限ループだ、と本人は笑う。
しようと思って、したくない

そんな山﨑さんはトイレ掃除に気を付けている。
「トイレ掃除をしようと思って、トイレ掃除をしたくないんですよ」
最初は意味が掴めなかった。けれど、続く言葉で腑に落ちた。
「一瞬でも、『自分はトイレ掃除をするんだ』『これで徳を積ませてもらうんだ』って思ったら、それってもう澄んでないじゃないですか。『やっている自分』を意識した瞬間に、心に泥が入る。水に泥をいれながら澄まそうとしている感じなんです。」
だから理想は、こうだ。
「気づいたらやってた、でありたいんですよね」
「トイレ掃除をしている」という意識すらないまま手が動いている。そういう心掛けが、一番誠真実として神様に受け取っていただけるのかなと思うと山﨑さんは言う。
お手本がいる。毎朝、大教会の風呂掃除を黙々と続ける、住み込みのおじいさんだ。
「『俺は毎日やってんだぞ』みたいな気持ちが、一切ないんですよ。誰も手伝ってくれない、なんて全然思わないでやってる。この行い、めっちゃ誠やなと思って」
夫婦で、笑い合う

「人って、自分よりも、相手に目が行ってしまう生き物だと思うんです。あの人が自由なことしてる、休んでる、こんなこと言ってた……って」
山﨑さんが見つけた小さな工夫は、この基本方針を、妻と分かち合ったことだった。
不思議なもので、自分が誰かの「不足」を口にしている時は、案外妻の心は落ち着いている。逆に、妻が「不満」をこぼしている時は、自分が冷静でいたりする。
「お互いに、相手のことは分かるんですよ。『あ、いま不足してんな』『自分に矢印が向いてないな』って」
だから二人は、互いの不足を、笑い話に変えてしまう。
「笑い合って、いい方向に考える癖を、ちょっとずつつける。夫婦でその習慣を続けてると、日常でほこりを積んでしまっても、自分の心に矢印を向けるのが早くなった気がするんです。」
腹が立った時も、独りで抱え込まない。妻に「腹を立てた話」として喋り、発散する。怒りのボルテージが、少しだけ下がる。そう話してくれた。
用木として、使ってもらう

これだけ自分のほこりを見つめ続ける山﨑さんが、最近「嬉しい」と言える瞬間があった。
きっかけは、まったく信仰を意識していない瞬間だった。納豆の麹漬けを作ってみたくて、農協へ麹を買いに行った。すると、居合わせたおばちゃんに声をかけられ、話が弾み、LINEまで交換することになったという。
「逆ナンされたんですよ(笑)。普段にをいがけで回っているときは、そんなこと絶対ないのに笑」
その時、ハッとしたという。にをいがけの「成果が欲しい」という思いが、オフになっていた。
普段は、自分のほこりが邪魔をして、親神様が働けない。けれど、欲を忘れた瞬間にだけ、ふっと用木として使ってもらえる。
「親神様、教祖(おやさま)に、使っていただけて嬉しいって思う瞬間があるんです」
たまたま入ったトイレで、水が出しっぱなしになっていて、止める。散らかったゴミに、たまたま通りかかって片づける。
「『あ、これは僕が、水を止めるように神様に使っていただけたんだな』って。転んでる人がいたりしたら、もう『うわ、困っている人のために使っていただけた!』って」
それは、ほこりではない、と山﨑さんは言い切る。トイレ掃除で語った「しようと思ってした」行いとは、根本的に違う。自分の意志ではなく、巡り合わせで体が動いた。だからこそ、心に泥が入らない。
「自分でしようと思ってしてないから、嬉しいんですよ。たまたまで、巡り合わせで。『あ、親神様は僕のこと、どんだけほこりを積んで信用を失おうが、使ってくださるんやな』って」
見捨てられていない。その手応えが、山﨑さんにとっての、何よりの安心だ。
「ようぼくとして使ってもらえて、まだ見捨てられてないんやって。自分が使っていただく機会があれば、純粋な気持ちでさせていただけるから」
道専務として通る以上、「お働きいただけない自分」は申し訳ない。それでも、この道を選び続ける理由を、山﨑さんはこう語った。
「人知を超えたところで、この信仰の世界を見させていただくほうが、面白いなっていうか。やりがいがあるかなって」
自分の見えない範囲で、自分の計算を超えたところで、神様に使ってもらえる。その一点を、山﨑さんは大事にしている。
同じように悩んでいる人へ
「心を澄ます毎日を。」と言われても、なかなか澄めない。気づけばほこりを積んでいる。同じ反省を、また繰り返してしまう。
そんな葛藤を抱える人は、きっと少なくない。山﨑さん自身が、誰よりもそうだからだ。
「真剣に、純粋に、誠真実の生き方から、逃げてるだけかもしれないです」
そう言って斜に構えながらも、彼は心定めを破るのが怖くて仕方がない。それは裏を返せば、「掃除しなあかんな」と、いつも気づいているということだ。
完璧に澄ませる人なんて、いない。ほこりを積みながら、それでも払おうとしている。その「払おうとしている」ことが、心を澄ます毎日なのかもしれない。
そして、たとえ何度つまずいても、欲を忘れたその時に、親神様は、ちゃんと使ってくださる。
取材を終えて

インタビューの間、山﨑さんは何度も「これ、使えます?」と笑った。「澄まし人じゃなくて、澄まぬ人でお願いします。」とまで言って、最後まで自分を立てなかった。
けれど、自分のほこりをこれほど厳しく見つめられるのは、それだけ真剣に「心を澄ます毎日を。」と向き合っている証だろう。心のほこりに気づき、反省するのは、いつも遅い。それでも、ほんの一瞬の誠に、彼は確かに神様に使ってもらっている。その喜びを語る時の表情だけは、本当に澄んでいた。
「気づいたら、やってた」そんな澄んだ瞬間を、山﨑さんは今日も、どこかで探している。
澄ましびとインタビューは、日々の暮らしの中で「心を澄ます」工夫をしている青年会員の姿を紹介する連載です。「普通の私たち」の、等身大の物語をお届けします。
次回もお楽しみに。