
本部の月次祭。参拝者にレンズを向ける前、茶谷さんは決まって、ほんの小さく頭を下げる。
構える前に一度、撮った後にもう一度。気づく人はほとんどいないくらいの、軽い会釈だ。
「祈ってる最中に、撮らせていただくので。やっぱり、撮らせてもらうという気持ちで撮ることが大事だなと思って」
そう言って、茶谷さんは少し照れたように笑った。
天理教道友社・編集出版課のカメラマン。24歳。レンズの向こうの人を撮るその一瞬に、茶谷さんなりの作法が宿っていた。
100回という節目に、仲間とともにおぢばへ帰る。式典、前日行事、前夜祭、総会関連企画の情報を特設ページで順次公開しています。
良い写真を撮りたい

朝は8時半すぎに道友社へ。お茶を淹れ、自分の担当でなくても、写真班のまわりに掃除機をかける。
「ほこりが落ちてるの、やっぱ良くないなって。時間があって、できる人がさせてもらったらいい」
朝礼で『教祖伝逸話篇』を拝読し、取材がなければカメラを担いで、おぢばの風景を撮りに出る。いまは天理時報の花のコーナーを担当しているので、花が一番きれいな朝いちばんに撮りに行く。朝用事があったときには昼にいくことも。昼に撮った写真を見せると、主任に一目で見抜かれてしまうのだという。
「『花の写真、ちょっと元気ないな』って。朝と昼の違いが、すぐバレるんですよ」
勤務時間外でも撮りたいものがあれば、シャッターを切る。夕焼けがきれいなら夕焼けを、晴れた満月の夜には満月を。「行ける時に行って良い写真を撮りたい」と、つい外へ出てしまう。
「趣味兼仕事みたいな感じで、楽しくしてます」
大学時代に写真部に所属していて、そこで写真を撮る楽しみを知った。「実質、旅行部なんですけど」と笑う。カメラを持って旅に出ては、展示会も開いた。最初の一台は、教会のカメラ担当の先生が「わしのお古あげよう」と譲ってくれたもの。
「カメラを譲ってもらえたのは、始めるハードルとして大きかったですね」と、茶谷さんはその出会いに感謝する。
一日一回のおつとめ

茶谷さんには、大学の頃から続けている心定めが2つある。
1つは、家計簿。「しょうもないんですけど」と笑うが、入学以来ずっと欠かさない。さすが経済学部、と自分でも思うようだ。
もう1つが、おつとめだ。これは、ただの習慣ではない。
きっかけは2つ。1つは、大学時代に家族の一人が心の不調を抱えたこと。もう1つは、ちょうど年祭の年で、何か一つ心定めをしようと思っていたこと。大層なことはできなかった。
「自分一人で完結できて、精一杯できることって何やろうと考えて。おつとめが一番いいなと思ったんです」
教会にいる日は、どんな時間でも、必ず一度はおつとめをする。バイト帰りの夜11時半、真っ暗な神殿で、手を合わせる。
「手がぐちゃぐちゃでもいいから、とにかく1回は、と思って」
本部に来てからも、それは変わらない。おぢばの周りで撮影する日は、本腰を入れてシャッターを切る前に、まずおつとめをしてから外へ出る。
「本部の前で撮影をしているのに参拝をしないのは、どうにも落ち着かないんですよ。」
冒頭の、あの小さな一礼も、きっと同じところから来ている。
信仰のこと

茶谷さんは、自分のことを「キレ症」だったと言う。
「感情の起伏が激しくて。好きな子は好き、苦手な子は苦手って、顔にすぐ出る。母から『それは損だから直しなさい!』ってずっと言われてました」
それが、いつからか変わった。大学でも、本部に来てからも、「丸くなったな」「優しくなったな」と言われるようになったという。
「おつとめのおかげだと思います。自分一人で神様と向き合う時間をこれからも大切にしていきたいです。」
保育の仕事に就いた姉に、こう言われたことがある。「堅は羨ましいなあ。毎日、勤務しながら参拝できるって、すごい良い職場やん」。
その一言で、茶谷さんは気づいた。毎日手を合わせられることは、当たり前ではなく、ありがたいことなのだと。
昔は「十二下り、長いな」と思っていたおつとめも、教会行事も、いまは不思議とすっと向かえる。先日の敷島分会の総会は取材で行けなかったけれど、「行きたかったんです、本当に」と、少し悔しそうだ。
「撮らせてもらう」という気持ちで

道友社のカメラマンには、独特の立ち位置がある。取材先の教会で優先して撮影できるのは、道友社のカメラマンだけ。だからこそ、ベテランの先生方からも「道友社さんはどうぞ前へ」と立ててもらう。
「1年目の自分が『いやいや』って……不思議な感じです」
卑屈になるのも、傲慢になるのも違う。「『とんでもないです』という気持ちは伝えつつ、向こうの『本部から来ていただいてる』という気持ちも、無下にせず、ありがたく受け取る」。おつとめの最中に撮らせてもらうときは、そっと一礼してからカメラを構える。冒頭の、あの会釈だ。
技術は、口で教わるより過去の写真から盗む。先輩カメラマンと同じ行事に入れる日は「すごい勉強になる」のだという。
「先輩ならどう撮るかな、どう声をかけるかな、って。頭の中に先輩の姿を想像して撮ってます」
その先輩から、よく言われる言葉がある。「楽しんでください」。嫌々通るんじゃなくて、とにかく楽しんだほうがいい――きっと、そういうことなのだろう。
取材を終えて

取材が終わり、茶谷さんを見送ってしばらく経ったころ。帰り道についていたはずの茶谷さんが、再び取材の場に姿を現した。
自転車を漕いでいる途中で写真班主任への思いが胸に溢れ、忘れないうちに語っておかなければとわざわざ戻ってきてくれたのだという。
本部勤務をもう少し続けたいと茶谷さんが心を決めた背景には、主任の存在がある。つい最近、「もう一年残ってくれないか」と一番に声をかけてくれたのが主任だった。自分の日々の姿勢を見ていてくれた人がいる喜びは、茶谷さんの背中を力強く押した。
茶谷さんにとって主任は、カメラマンとしての真摯な姿勢はもちろん、「信仰者」としての温かい心構えを背中で教えてくれる目標でもある。冒頭で触れた「撮らせてもらう」という小さな会釈も、尊敬する先輩の姿から受け継いだ大切な教えなのだろう。
茶谷さんは深い尊敬の念を、忘れないうちにまっすぐ語ってくれた。
「今の自分がいるのは、間違いなく主任のおかげです。心から尊敬する恩師なんです」
人を撮るのは、いまも難しいと言う。ポートレートは経験が足りない、まだまだ這いつくばっている、と。それでも彼は、祈る人の前で静かに頭を下げ、シャッターを切る。撮らせてもらう、というその一礼の中に、基本方針である「心を澄ます毎日。」が静かに息づいていた。
澄ましびとインタビューは、日々の暮らしの中で「心を澄ます」工夫をしている青年会員の姿を紹介する連載です。「普通の私たち」の、等身大の物語をお届けします。
次回もお楽しみに。