第12回 「また前を向こう」と思えるきっかけを

2024年1月1日、能登地方を中心に未曽有の被害をもたらした能登半島地震。さらに9月、豪雨に見舞われた被災地では、避難所から仮設住宅への移動が進んでいるものの、復旧作業は長期化している。こうしたなか、発災直後から継続的に支援を続ける人がいる。神田真智子さん(35歳・久峯分教会教人)は、「災害支援団体I’s(アイズ)」の一員として、被災者一人ひとりに寄り添いながら、〝心の復興〟に向けて尽力している。

被災地で週末に支援活動

令和6年能登半島地震の発生から1年6カ月ーー。石川県内の被災地では、地震や豪雨災害により開設された避難所の閉鎖が進み、復興が新たな段階を迎えている。

神田さんは「災害支援団体I’s」の一員として、能登半島の被災地でさまざまな支援活動を展開してきた。これまでに駆けつけた回数は50回。平日は仕事をしており、週末を中心に支援に当たっている。

ボランティアセンターなどと連携しながら、地震で倒壊したブロック塀の解体・撤去や家財道具の搬出、炊き出しなど、被災者のさまざまなニーズに応えている。

※災害支援団体I’s
2023年9月に結成された任意団体。家屋作業、炊き出し、理美容のボランティア、ボディーマッサージ、地元団体と連携した親子向けイベントのサポートなど、さまざまな支援活動をしている。現在、団体を運営する主要メンバーは15人。20代から40代を中心に、関西をはじめ各地に計約450人のチームメンバーがいる。

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「私も力になりたい」と思い立ち

信者家庭に生まれた神田さん。天理高校第2部を卒業後、さおとめ寮の幹事などを経て、2019年に地元の長野へ帰った。

同年9月、関東地方に上陸した台風15号により、千葉県を中心に甚大な被害が出た。その数日後、SNSを通じて、友人の井上陽平さん(櫻満分教会長)が千葉県内で救援活動を行っていることを知った。「私も力になりたい」と思い立った神田さんは、手袋と長靴を携え電車に飛び乗った。

「現状を知ると、いてもたってもいられなくなって被災地へ向かいました。でも、最初は自分に何ができるか分からなくて。男性のように屋根の修理には加われないので、屋根に載せる土のうを作ったりしていましたが、微力であることを痛感していました」と振り返る。

そんななか、被災したある婦人に声をかけられた。その婦人は被災を免れたアルバムを開きながら、ゆっくりと家族の話を始めた。1時間ほど話をしたあと、神田さんの手を握りしめながら「ありがとう」と感謝を伝えたという。

「何も力になれていないと思っていたのに、その方から感謝の言葉をかけられ、それが胸に深く刻まれました。自分の存在が、誰かにとって意味のあるものになる。そう思えたのが、とても大きな経験でした」

地元・長野の大規模水害

千葉でボランティアを経験して間もない10月13日、長野で台風19号による大規模な水害が発生した。長野県内を流れる千曲川(ちくまがわ)が氾濫し、長野市内では堤防が約70メートルにわたって決壊。神田さんの実家は被害を免れたが、閑静な住宅街やりんご畑などが広がるエリアが被災した。

「見慣れた町が泥水に覆われ、自衛隊のヘリや特殊車両が行き交い、まるで戦場のように変貌していました。2階近くまで水に漬かった住宅もあり、自衛隊ヘリコプターなどが取り残された住民らを救助する様子がニュースで流されていました。私が何かできるレベルではなかったのですが、幼なじみの家が被災したことを知り、勇気を出して行くことにしたんです」

幼なじみの友人宅に着くと、1階の天井下まで水に漬かった跡があった。「友人家族はドロドロになった家財を運び出すのに必死で、水分も食事も取らずに一日中動き続けておられました。泥水を吸った重たい畳、おかずが入ったままのフライパン、お孫さんのランドセルやおもちゃ……。さっきまでそこにあった家族の日常が一瞬にして奪われてしまったのです。

私も友人家族と夢中で家財を運び続け、気がつくと辺りは真っ暗になっていました。ご家族は避難所に戻られ、友人が私を自宅まで送ってくれる車内で空腹に気づき、持参していた小さなおにぎりを分け合って食べました。それがおいしくてたまらなくて、その日初めて二人で顔を合わせて、いつものように笑うことができました。

すると勝手に涙がポロポロとこぼれてきました。安堵感なのか悔しさなのか、怒りなのか無力さなのか、この先の不安なのか……そうしたすべてが入り混ざったような、忘れられない感情でした」

被災地での忘れられない光景

被災地となった地元で、忘れられない光景があるという。復興に必要な軽トラックが不足しているという情報が広がると、全国各地のボランティアが自前の軽トラを持ち寄り、長野の町に全国のナンバープレートが並んだのだ。さらに毎週末、井上さんをはじめ、友人たちが代わる代わる支援に駆けつけた。

「心強くて、ありがたくて、涙が止まりませんでした。誰も来てくれないと思っていた町が、支援してくださる人であふれていたんです」

そうしたなか、神田さんは地元のボランティア団体に加わり、写真洗浄の活動にも関わるようになった。泥水に漬かったアルバムを丁寧に洗い、乾かし、持ち主に返す——そんな地道な作業を繰り返した。

「家財道具や電化製品は買い替えることができますが、思い出のつまった写真はそうはいきません。大切な思い出を守ることも、被災者の心を救うことにつながると知ったのです」

〝先輩ボランティア団体〟との再会

その後も、九州や静岡、和歌山、石川などで起こった水害の被災地支援に幾度となく駆けつけた。2023年9月、井上さんを代表とする「災害支援団体I’s」を共に立ち上げた。それ以後、被災地での支援活動は一時的なボランティアではなく〝生活の一部〟となっていった。

2024年1月1日、能登半島地震が発生。神田さんたちは救援物資を届けるために避難所を回る中で、ある〝先輩ボランティア団体〟のメンバーと再会する。その団体とは以前、水害の被災地で活動を共にしたことがあり、能登半島の被災地においては行政などの支援の手が届いていない地域で救援活動をしていた。

「ボランティアといえども、被災地の人にしてみれば赤の他人。信頼がないと受け入れてもらえませんが、その団体の方々のおかげで私たちも支援に入ることができました」

そうして支援に入った地域では、毎週のように駆けつけては炊き出しをして、温かい食事を振る舞った。「ご飯がうまく炊けず、雪の降るなか列を作った人を待たせてしまうこともありましたが、その間も住民の方とコミュニケーションを取ろうと、肩もみをしながらお話をさせてもらいました」

「誰かを助けることで強くなれる」

避難所やその周辺の人々と関係を築く中で、自営業を営むAさんと出会った。Aさんは家が傾いていたものの、なんとか自宅で避難できることから支援を受けることにためらいを感じ、炊き出しを受け取ることができずにいたという。すると、どこからか「Aさん宅のガレージを借りて、自宅避難の方たちにも炊き出しをしよう」という声が上がった。

快く引き受けたAさんはそれ以後、炊き出しを遠慮される方へ声をかけ、支援の手がより行き届くようになった。「日ごとにAさんの表情が晴れやかになっていくのを見て、『人は助けてもらうだけではなく、誰かを助けることで強くなれる』と感じるようになりました。さらにAさんが私たちとの〝パイプ役〟を担ってくださることで、現地のニーズに応じた活動ができるようになっていきました」

神田さんは言う。

「被災した人にとって、再び前を向いて歩き出すのはとても大変なことです。それでも、被災地に寄り添い続ける人がいるからこそ、『また前を向こう』と思える。そうした心の支えや活力になれるよう、これからも一人でも多くの仲間と共にぬくもりを届け続けたいです」

文=中西一治

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