世の中では通用しないのかも。でもしたい――2024年の夢プレゼンの振り返り②
2024年8月25日(日)、南右第二棟4階の陽気ホールにて、天理教青年会としては約3年ぶりとなる「夢プレゼン」が開催されました。今回のイベントでは、多くの若者たちが集まり、新たな夢と希望を共有しながら、前向きな未来を築くための素晴らしい時間を過ごしました。
今年の夢プレゼンの特筆すべきポイントは、プレゼンターごとにチューターが用意され、彼らと二人三脚でプレゼンテーションを仕上げたことです。
本記事では、チューターたちの当時の心境を振り返り、その赤裸々な思いを語ってもらいます。どんなドラマがあったのか、ぜひお楽しみください。
今回、話を聞いたのは
- 名前:森井治(青年会本部委員・名古屋分会)
:大人になったら何になりたい?
子どもの頃、こう聞かれたら、迷わず「プロ野球選手!」と答えていた。周りの大人や友達から夢を尋ねられる機会が多かった少年時代。それがいつ頃からか、夢について聞かれることも、誰かに話すことも少なくなっていたように思う。大人になったから、と言えばそれまでだが、心のどこかで夢を横に置いて、いつも現実的な選択肢に流れている自分がいることにも気づいていた。
そんなときに青年会から打ち出されたのが、今回の「夢プレゼン」企画。
企画書には、「誠の挑戦者」「#枠からハミ出せ」といったパワーワードが添えられていて、それら一つ一つのメッセージが、やけに私の胸に突き刺さった。
「この企画を通して、純粋に夢を追いかけていた頃の感覚を思い出せるかもしれない」
そう思っていたある日、企画チーフの廣田さんから一本の電話が入った。
「今度の夢プレで、瀬藤大喜さんのチューターをつとめてほしい」
もはや断る理由はない。「全力でやらせていただきます!」と即答し、私のチューターとしての日々が始まった。
特殊なバックグラウンド
実は、瀬藤さんと私は初対面ではない。
彼は一昨年に青年会が開催した「おたすけカレッジ」という企画にも参加していて、私もその運営に少し関わっていたため、今回最初にzoomセッションをした際にも、「あーどうも!」といった具合にスタートを切ることができた。
とはいっても、私がチューターという立場を掴むまでには少し時間がかかった。
チューターはプレゼンターの思いをしっかり理解し、そこから外れないようにアドバイスを重ね、最終的には、初めて聞く人にも分かりやすいプレゼンになるようリードしていく必要がある。そのためには、まずチューター自身がプレゼンターの思いをどれだけ理解できているかが鍵となる。
そこで、改めて瀬藤さんの夢の中身について、根掘り葉掘り聞いてみることにした。
というのも、彼は海運業界(つまり船上)という、私には想像のつかない職場で働いていた。仕事内容や置かれている環境がかなり特殊なため、詳しく説明してもらわないとなかなか理解することができなかったのだ。
今思えば、最初から尋問のように質問を浴びせてしまったことを少し反省している。ただ、それを経たことで、仕事の中身だけでなく、彼がなぜ今回の夢を抱くようになったのかというオリジンの部分が徐々に見えてきた。
途方も無い「夢」
海上での仕事は、様々な課題を抱えていた。
例えば、漁船や貨物船では、閉鎖的な船内で長期間生活しなければならない。それによって、船員同士のトラブルや陸上(本社)とのコミュニケーション不足が生じ、精神的に追い込まれてしまう人が後を絶たない。
原因は特定できないが、実際に、瀬藤さんの後輩にも自死未遂をするまでに追い詰められてしまった人がいたという。
「もうそんな人を見たくない。自分にできること、自分だからできることは何かないだろうか」
そう真っ直ぐに語る彼の姿を見て、私のチューター心に火がついた。
もっというと、夢プレのチャンピオンになってもらうことよりも、ただただその夢を応援したいと思うようになった。
それから、何度も何度もzoomやLINE、対面で相談を重ねていった。
振り返れば、毎回あっという間に2時間以上経っていて、いつも二人でワクワクしていたように思う。
そんな瀬藤さんの夢は、「日本の海を誠で満たす」こと。
彼は、「ようぼく船員」という数少ない自分の立場を生かして、青年会で培った誠の心を船内や自社内、さらには海運業界全体へと広げていくという大きな夢を打ち立てた。
正直、これがビジネスプランだったら、世の中では通用しないのかもしれない。そんなことは百も承知で、私たちは、夢プレでこれを語ろう!と準備を進めていった。
迎えた本番
できる限りの準備をして迎えた夢プレ当日。
「昨日は眠れましたか?」と聞くと、「思ったより眠れました!数時間ほど」という返事が返ってきた。
それはよかった!と安堵する一方で、なぜか私の方が緊張しはじめた。
最終の打ち合わせをしている間も、リハーサルを行っているときも、どこかソワソワしていた。情けないチューターだ。
青年会の例会が終わり、いよいよ夢プレゼンの時間がやってきた。
舞台袖で緊張しながらもどこか冷静さを醸し出す瀬藤さん。
ついにプレゼンの順番がやってくると、ガッチリと握手を交わしその背中を送り出した。
舞台上で堂々と夢を語る姿を見ながら、私の中で何か込み上げるものがあった。
細かな反省点はあるとしても、全体を通して熱のこもった素晴らしいプレゼンだったと思う。
無事に発表を終えて舞台袖に帰ってきた瞬間、私たちは思わずハグをしていた(もちろん、これに変な意味はない)。今日までバディとして一緒に駆け抜けてきた達成感、思いの乗ったプレゼンができたあの高揚感はなんともいえない。
発表者全員のプレゼンが終わり、ついに迎えた運命の結果発表。
もったいぶらずにいえば、チャンピオンになることはできなかった。
ただ、不思議にも悔しさはなく、むしろ満足感を味わいながらこの企画を終えることができた。何かをやり切るというのは、こういうことなのかもしれない。
改めて思うこと
今回の夢プレゼンを通して、私自身たくさんの気づきを得ることができた。
とりわけ、夢を持つことで生まれる力に気づかされたことが一番の収穫だった。
誰しも、本当はなりたい自分ややってみたいことがきっとある。なのに、それに気づかなかったり、大人でいなければならないプレッシャーから自分の気持ちに蓋をしていることがあるんじゃないか。もしそうなら、一度自分に素直になって挑戦してみるのも大切かもしれない。
私も何かに挑戦することは好きだが、無謀な挑戦は避けてしまう。それはきっと、周りからの評価や自分の置かれた立場を失うことに多少の恐怖を感じているからだ。
そんな私に、瀬藤さんが示してくれたことは、「大の大人が恥ずかしげもなく夢を語る姿には力がある」ということだった。たとえその中身が無謀だと思われるものであっても、そこに熱量があれば、不思議と周りも感化されていく。その夢が、誠の心に基づくものであれば、なおさら応援したいという人が現れる。
もはやどちらがチューターか分からないほど、かけがえの無い学びを得ることができた。
最後に
ここで一つ、さんげ話しをさせてもらいたい。
先ほど、私は今回の夢プレ以前に、おたすけカレッジで瀬藤さんと関わりがあったとお伝えした。
そう思っていた。夢プレ当日までは。
瀬藤さんの発表が終わり、結果発表を待つまでの間、二人で一度控え室へ戻ったときのこと。
瀬藤さんが、いきなり「実は森井さんとは初対面じゃ無いんです」と言い出した。
「分かってますよ!おたすけカレッジでも一緒になったじゃないですか」というと、
「いや、そうじゃないんです。覚えてませんか?僕ら高校の学修で同じ班だったんです。しかも結構仲良かったんですよ?」と・・・。
全く覚えていない。
以前から自分の欠点として、人の名前と顔を覚えるのが苦手だということは自覚していた。しかし、あれだけ熱い1週間を共に過ごした人のことをすっかり忘れているというのは、我ながら情けないにも程がある。
その不甲斐なさを反省すると同時に、「2ヶ月弱も一緒にやってきたのに、何でもっと早く言ってくれなかったのか?」と相手に矢印を向けるほこりの心が生じてきた。
瀬藤さん、申し訳ありません。
ちゃんと心を澄まして、人の名前と顔を忘れないようにもっと努力しよう。そう思えたこともまた、夢プレチューターをさせていただいたからこその気づきとなった。
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