夢と希望が交差する瞬間――2024年の夢プレゼンの振り返り①
2024年8月25日(日)、南右第二棟4階の陽気ホールにて、天理教青年会としては約3年ぶりとなる「夢プレゼン」が開催されました。今回のイベントでは、多くの若者たちが集まり、新たな夢と希望を共有しながら、前向きな未来を築くための素晴らしい時間を過ごしました。
今年の夢プレゼンの特筆すべきポイントは、プレゼンターごとにチューターが用意され、彼らと二人三脚でプレゼンテーションを仕上げたことです。
本記事では、チューターたちの当時の心境を振り返り、その赤裸々な思いを語ってもらいます。どんなドラマがあったのか、ぜひお楽しみください。
今回、話を聞いたのは
- 名前:西浦修(青年会本部委員・紀陽分会)
:私はこの期間、チューターとして一番近くで田中一慶(岐美分会)さん(以下:田中さん)と関わった。結論から言うと、田中さんのプレゼンによって一番心を動かされたのは私だと思う。
いつも物腰柔らかく、優しい笑顔で接してくれる田中さんは、新米教会長の私にとって、優しいお兄ちゃんのような存在から、いつしか一生追いつけないほど先を歩む偉大な先輩へと変化していった。
そんな田中さんとの夢プレゼンまでの歩みを赤裸々に綴ってみたいと思う。
チューターってなんだ。
「修、チューターお願いできる?」
夢プレゼンの企画担当から話をもらったとき、私は二つ返事で快諾した。
お道の若い人が夢を持つ素晴らしさをみんなに知ってほしい!
そう息巻く彼の熱意に共感していた私に、断る理由など1ミリもなかったのだ。しかし、思った。
「チューター」って、なんやねん。
人生で聞いたことのない役職を、カッコよく即答で受けてしまった私は、彼が去るのを確認するや否や、ポケットからスマホを取り出した。
『チューター(英語:tutor)とは、大学において学士課程の学生への学習助言や教授の補佐を行う者のことであり、同じ学科の大学院生がその役割を担うことが多い』【Wikipediaより】
私は某大学をぎりぎりで卒業した、平均以下ど真ん中の現在38歳、新米教会長である。
「そんな奴がチューターて・・・・・・。」
響きからして、ちょっとしたお手伝いみたいな、もう少しかわいらしいものを想像していた。冷静な顔を決めこみながらスマホをポケットにしまう私の心は、にわかに緊張し始めていた。
この段階では、まだ誰の担当になるのか決まっていない。
「せめて年下だったらいいな〜。学力も自分より低めで……なおかつ背も低めがいいな」
数日後、担当が発表された。
結果、年上で、元教師という肩書を持つ田中さんだった。学力うんぬん以前に、人に教える側の人間だ。
率直な感想は、ガビーンである。
いちるの望みは、むなしくも崩れ去った。
年齢、学歴、教会長歴、優しさ、器、全てにおいて私よりもハイスペックな方のチューターを務める羽目になってしまったのである。
そんな田中さんも身長だけは私と同じ、低めであった。数ある願いのうち、たった一つだけ、一番しょうもない希望がかなった。
すれ違い。
7月3日(本番まで約2ヶ月前)、田中さんからLINEが届いた。
こんにちは。夢プレゼンのチューター、修さんが担当してくださること、とてもうれしいです。よろしくお願いします。
こちらこそ!かずよしさんだったらいいな〜と思っていました!!
早速、嘘をついた。
本当は、自分より年下で、めちゃくちゃ壮大な夢をチラシの裏に書いてくるような、そんなタイプが良かった。
「田中さん、私なんかですみません」
そんな思いを抱きながら、ハイスペック田中さんとの二人三脚の日々が始まった。
7月24日【本番1ヶ月前】
……あれから何の連絡もない。
「どんなプレゼンにするのか大枠を考えてきてください」
と言ったきり、進捗がなかったのだ。
そこで「お疲れ様です。1ヶ月前になりましたがどんな感じですかー??」とLINEした。
すると、「75%くらい」との返事があり少し安心した。
ここまで一度も打ち合わせができていない。そんな不安を抱えながら、広報用素材の動画撮影が行われた。一人ひとりがインタビュー形式で意気込みを語るというものだ。
私はその中で、「田中さんが間違いなく優勝しますね。間違い無いです!」と力強く言い放った。
しかし後日、夢プレゼンの目標を聞いてみると、田中さんはこう答えた。
「一番の目標は、自身の立場を考えて夢を断念したり、継ぐことを前向きに考えることが難しい『教会長後継者さん』に、悩みながらも前に進もうとしている同年代の人がいるんだな。自分も与えられた立場・条件を生かしながら、いろいろ考えて頑張ってみようかな、と思っていただけたら成功だと考えています」
そもそも田中さんは、優勝が目的ではなく、教会長後継者の人に勇気や自信を与えるために舞台に立つという、圧倒的他者貢献の精神で夢プレゼンに臨んでいたのだ。
私はそれを全然理解できていなかった。
とても反省したと同時に、そんな真っ直ぐな田中さんの力になりたい、そんな思いが心の底からフツフツと湧き上がってくるのを感じた。
田中さんの武器
さあ、ここからが本番だ。
私たちはzoomを使って何度も打ち合わせを行った。長いときは3時間を超えた。
さすが元小学校の先生だけあって、田中さんのこだわりはひときわ強かった。
最初に見せてもらったプレゼンは、さまざまな仕掛けが施されていて、見ていてなんだか楽しかった。
しかし、結局何が言いたかったのかと聞かれると、よく分からなかったのである。
率直に伝えるべきか悩んだ。
そこには、田中さんのこだわりや、想いがたくさん詰まっていると心底理解できたからだ。
チューターとしての役割。それは今になってもよく分からない。教えられる自信も能力もないのは分かっている。
それでも、結果的に私がした選択は、感じたことを全てありのまま伝えることだった。
それは、『悩める教会長後継者さんに、悩みながらも前に進もうとしている同年代の人もいるんだと勇気を持ってほしい』という信念を持って語る姿に、心打たれたからである。
かくいう、私もその1人だ。
教会長2年目の新米で、もちろん悩むこともある。しかし、教会長になる前の方がよっぽど不安だったという経験があったからこそ、田中さんがターゲットとする人の気持ちを痛いほど理解できる。
ということは、私の心に響かなければ、田中さんの目標は達成できないのである。
そう理解してからは、私の意見を全て正直に伝えた。
田中さんがこだわる部分にも、勇気を持ってズバズバ意見した。
田中さんがすごいのはここからだった。
時間をかけて一生懸命作ったこだわりの部分を「丸々無くしましょうか」と思い切って提案したとき、田中さんはそれをあっさりと了承してくれたのだ。
しかも、「こっちの方がスッキリしていいですね。ありがとうございます!」と、お礼まで言うのだ。
長時間かけて一生懸命作ったものが、自分の苦労が、人の意見で無駄になってしまう。自分だったらどうだろうか……。この「素直さ」が、田中さんの一番の武器だと確信した。
何より、教祖に対しての素直さが、まるで鉄のように堅かった。
田中さんからは、「どうやったら教祖はお喜びくださるかな」という視点で考えていることが、いつも感じられた。
同じ教会長という立場である私にとって、そこが圧倒的に欠けているなと思い知らされた。
それからというもの、本番に向けて私自身のギアが一気に上がった。
本番前日のリハーサル、やっと直接会える貴重な時間だ。夜はリハーサルを元に、細かいところまで2人で仕上げよう。明日は寝不足になりそうだ。
「田中さん、今日の夜いつからやりますか??」
「すみません。今宵は用事が入っていて……申し訳ございません」
……私の片思いだった。
徹夜を覚悟していたにもかかわらず、何ならいつもより早く寝た。
枕の上で、「『今宵』て……」というツッコミを反芻していた。
「緊張しないんですか??」
当日、田中さんに何度もした質問だ。
会場で合流した際の飄々とした顔を見たとき。
心配する私を横目にカツ丼をガッツリ頬張る姿を見たとき。
本番開始直前まで、セリフを見返すこともせず世間話が止まらなかったとき。
返ってきた返事は全て「全然大丈夫です!」。
この人には、「心配」という感情が備わっていないようだ。きっと「教祖にお喜びいただきたい」という真っすぐな心でいると、先案じの気持ちも起こらないのだろう。
そこもまた、カッコよかった。
本番は、今までで一番のでき映えだった。
優勝とはならなかったが、その日のうちに教会長後継者の方数人から、田中さんのプレゼンが一番心に響いたという声が聞こえてきた。
田中さんの目標は、見事に達成されたのだ。
やっぱりこの人はカッコいい。
私は、チューターという役割で田中さんの力になってあげたいと動いたつもりだった。
しかし結局は、その低い心と先案じのない姿、そして「教祖にお喜びいただきたい」という真っ直ぐな姿勢に、教会長として、とても大事なものをたくさん貰ったのである。
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