大事故を乗り越えて勇み立つラガーマン/森川稔之さん×伊勢谷スポーツ俱楽部

「奇跡の再会が育んだお道の薫り」

ラグビートップリーグでプレーした森川稔之さんは、天理大学時代にバイク事故で重傷を負った。路上で意識が朦朧とする中、ある男性からすぐさまおさづけを取り次いでもらった記憶だけ残っていた。プロラグビー選手になってからも、顔も分からぬ男性との再会を思い続けた――。

今回は大事故が転機となった森川さんのラグビー人生と、奇跡の再会を通して芽生えた信仰信念に迫る。

生涯忘れられないおさづけ

―ラグビーを始めたのはいつですか?

小学 1 年生のときにラグビー部の監督に誘われました。叔父が 1989 年の全国高校ラグビー選手権(花園)に啓光学園の選手として出場して、決勝戦で天理高校と対戦しているんです。高学年になるとラグビーが楽しく、決勝戦のビデオを擦り切れるまで見ていました。天理と啓光学園は私の憧れでしたね。叔父の勧めもあり天理高進学を決めました。入部当初は練習に付いていくので精いっぱいでした。2 年生からレギュラーになりましたが、御所実業に阻まれて花園出場は叶いませんでした。

それでも全力でやり切った高校ラグビーでしたし、この悔しさが大学ラグビーへの原動力になりました。

―天理大ラグビー部でもレギュラーで出場していましたね。

天理大は心折れるくらいハイレベルで、入部当初は最下部のFチームでした。環境に慣れて徐々に本来のプレーができるようになり 2 年時にトニシオ・バイフさん(現相模原)の交代要員として出場するようになりました。

3 年生ではレギュラーとして大学選手権に出場しましたが、帝京大に 3-43 の大敗。後の日本代表選手が多数出場しており、レベルの差を痛感しました。

―新チーム結成後、すぐに大事故にあったんですよね。

2015 年 1 月 19 日です。バイクで走行中に、前の車の右折に巻き込まれて数メートル先の反対車道に吹っ飛び、道路に叩きつけられました。激痛のなか咄嗟に動こうとしたとき、「待て!動くな!」と男性の叫び声と足音が聞こえて、おさづけを取り次いでいただいたんです。

ハッピを着た男性の記憶はありますが、顔を見る気力すらありませんでした。人だかりの円ができて、みんなが一心に手を合わせていたのは覚えています。ホントにすごい光景でした。

肺が潰れて、肋骨を含む全身 8 カ所骨折の重体で、すぐに ICU に運ばれました。状態が落ち着き、一般病棟に移ってからは教会関係、ラグビー部の仲間などすごい数の方がおさづけを取り次いでくれました。医師からは、退院までに手術を 2 回、日常生活復帰まで 1 年、ラグビー復帰は数年先と言われました。ラグビーを失うかもしれないと思うと、ラグビーができていた日々がいかに幸せだったかを痛感しました。そして、またラグビーをしたいという気持ちが湧き上がってきたんです。

―すごい大事故でしたね。その後、どうなったんですか?

有難いことに手術をすることなく、半年後に部活に復帰できました。折れた肋骨は自然と元に戻り、肺も穴が塞がり息をするとしっかり膨らむようになりました。体の仕組みのすごさ、そしておさづけのご守護に感動しました。ただ、本来のプレーは戻らず、最後の大学選手権はスタンドで応援していました。

―「事故さえなければ自分が出場していたのに」とは思わなかったですか?

まったく思わないですね。天理大は選手層が厚く、わずかな差で選手が入れ替わるんです。

大学選手権で早稲田大を撃破した試合で活躍した金丸勇人選手(現マツダ)は、前年は私の交代要員でした。でも悔しさは一切なく、彼のプレーを見て「金丸が出場して良かった」と心底思えました。仲が良くて、お互いを尊重し合えるチームだったので、自分の気持ちよりチームを優先できたと思います。

そして、大学で引退するつもりでしたが、ラグビーができない経験をしたことで、トップリーグでプレーしたい気持ちが芽生えたんです。事故が人生を変えてくれたし、今は事故が有り難かったと思えます。

自分に合った親の声

―すごい経験でしたね!卒業後はトップリーグ・宗像サニックスに入団されましたね。

入団前に父から「4 年で教会に戻ってきなさい」と言われました。「4 年後は選手として一番いい時だし、活躍していたら戻れないだろ」と反発しましたが、とにかく全力で頑張ろうと決めていました。

1 年目の夏にセブンス日本代表の候補合宿に召集されました。大いに意気込みましたが、合宿中に膝の靭帯を損傷したんです。そこからはけがとの戦いでした。1 年間リハビリに励み、復帰すると再度損傷する、これを数回繰り返しました。現役は無理かなと、引退を決めて挑んだのが 4 年目のシーズンでした。親の声はすごいなと実感しましたね。

―もし、森川さんのように親の声に反骨精神を持つ若者に相談されたらどう答えますか?

与えられた期間を全力で打ち込んだら良いと思います。親の声を理由に打ち込めなかったら、教会に帰っても後悔を引きずり、お道にも気持ちが入らない気がします。私は全力でやりつつ、頭の片隅に「4 年」というワードが残っていたので、現役中に心の変化が芽生えていたと思います。全力を出せずに親を恨んでいたら時間だけが流れて心の変化はなかったでしょう。それで、5 年目以降も許してくれたら神様の世界、帰ろうと思えたことも神様の世界です。きっと自分に合った声を親は掛けてくれていたと思いますね。

5 年越しの奇跡の再会

―引退後はどうされたんですか?

5 月から修養科を志願する予定でしたがコロナの影響で 6 月まで受け入れがなかったので、7 月に志願しました。すると、思いもよらない出会いがあったんです。最初の面接で事故の話をしたら、数日後に担任の先生が「おさづけを取り次いでくれた人が見つかったよ」と言うんです。事故以来ずっと探していましたが、5 年半が経過しており、顔も名前も教会も分からず諦めていたので衝撃でした。

約束の場所で待っていたら、来られたのは、なんと修養科の一期講師(修養科の先生)の方でした。半信半疑でしたが、事故の日時、現場の様子などが私の記憶と全て一緒でした。もう感動の再会でした。

実は先生も 4 月から一期講師する予定だったが 7 月に変更になっており、お引き寄せを感じずにはいれませんでした。事故当時、先生はおさづけ取り次ぎの心定めをされていました。

心定めがなかったら、自分も野次馬で見ていただけかもしれないとおっしゃっていました。

おかげで大事故からご守護をいただけたと感謝しかありませんでした。

―すごすぎる話ですね!

人間業では考えられないお引き寄せをいただき、再会することができた。私がおぢばに帰るのを教祖がお待ちくださっていたと思います。私はおさづけでたすけてもらったので、信念を持っておさづけを取り次がせてもらいたいと思うようになりました。

事故現場で当時のことを語ってくださった。

ラグビーを通して伝わるお道

―それで布教の家を志願されたんですね。

いえ、布教の家は行きたくなかったんです(笑)。修養科修了後、教人資格講習会に行く前に、父から布教の家を勧められました。「ついにこの声きたか!」って感じでした。もう迷いの気持ちしかなかったですね。

ただ講習のクラスメートに布教の家の志願者が 5 人もいたんです。みんな前向きな気持ちで志願しており驚きました。自然と感化され、神様のお引き寄せを感じました。講習後には布教の家の決意が固まりました。

―森川さんは親の声に不足してもスルーせずに、きちんと頭に置いていますね。

散々迷惑をかけたので、親孝行をしたい気持ちがあると思います。反発はするけど親の気持ちも考える。親の声の真意を考えて、応えられることには応えたいです。

―布教の家はどうでしたか?

インターホンを押せず、声かけすらできない、自分の弱さを知りました。私は以前から「俺がたすけてあげる」、「俺がどうにかしてあげる」、そんな心遣いをしていました。ただ、苦しむ人を前に本当に無力で、唯一できたのがおさづけとおつとめでした。神様にすがるのみで、神様しかないんだと実感できました。

布教の家に入寮したことで、人ために行動したいと思いました。私はラグビーを通して、人のためにする行動では、自分の能力以上のものが発揮できることを学びました。タックルに入るとき、恐怖やけがのリスクを一瞬考えますが、チームメートのためなら無我夢中でタックルに入れました。これはお道のおたすけでも一緒で、いまでも主体的に布教に歩けています。

―将来の夢はありますか?

人に夢を提供して日々の活力にしてもらいたいです。具体的にはラグビースクールを作り、人のために動く大切さ、夢を持つことで得られる活力などを子どもたちに伝えたい。大人もそれぞれの徳分を生かして携わることでいいチームにしたいと思っています。

私はお道の教えとラグビーの精神はとても似ていると思います。人のために体を張り、人の活躍をわがこととして喜べる。ラグビーを通して伝わるお道があると思っています。

最近、ラグビーのコーチング資格を習得しました。いつか天理高校ラグビー部見学や天理中学ラグビー部との練習試合がしたい、そんな夢を抱きながら楽しく過ごしています。

伊勢谷のふりかえり

私が学生生徒修養会大学の部でカウンセラーをつとめたときの班員が森川さんだった。当時から明るく面白く、優しい学生で、毎年お酒をのみながら語り合う仲が続いている。そしてセブンス日本代表候補合宿に召集されたり、単独布教師として頑張っていたりと、実績や信仰が深まろうと変わらず接しやすい青年だった。

今回の取材で、その理由が分かった気がする。事故からのご守護、親の声への思案、奇跡の再会――。その都度、感謝の思いを忘れずに、成長する姿勢を持ち、自分のほこりと向き合っていた。

おたすけ先の方をおぢばにお連れする森川さんの姿をよく見かける。きっと彼から溢れるお道の薫りが伝わっているんだなと嬉しくて仕方がない。

森川稔之さん/MORIKAWA TOSHIYUKI

1993 年、福岡県生まれ。小学校からラグビーをはじめ、天理高校、天理大学ではラグビー部に所属、全国大学選手権出場。卒業後、トップリーグ・宗像サニックスブルースに入団、リコージャパンを経て 26 歳で現役引退。その後、修養科、教人資格検定講習を経て、布教の家大阪寮へ入寮。卒寮後、大阪市を拠点に 2 年間単独布教を行う。現在は自教会青年としてお道の御用に励んでいる。

伊勢谷和海/ ISETANI KAZUMI

1984年愛知県生まれ。天理高校、天理大学卒業後、天理高校職員(北寮幹事)として勤務。好きなスポーツは野球・陸上・相撲・ラグビーなど多岐にわたる。スポーツが好き過ぎて、甲子園で校歌を数回聞くと覚えてしまい、30校以上の校歌が歌える。スポーツ選手の生年月日・出身校も一度見たら覚える。高校野球YouTubeチャンネル「イセサンTV」を開設。ちまたでは「スポーツWikipedia」と称される。

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