幻の甲子園で輝いた球児/下林源太さん×伊勢谷スポーツ俱楽部

「天理高野球部、忘れられないキャプテン」

2020年、天理高野球部――。

出場が決まっていたセンバツ(春の選抜甲子園大会)がコロナで中止となり、夏の大会は県予選すら行われなかった。そんな中8月に、センバツ出場予定だった32校への救済措置として、各校一試合のみ甲子園で戦う交流試合が開催された。

「最後に甲子園で野球をやらせていただいて、本当に恵まれた学年だったなと自分たちは思っています」。試合後のインタビューで下林キャプテンが語ったこの言葉が忘れられない。

当事者の高校生が言える言葉かと感動し涙があふれた。あれから4年、天理大野球部のキャプテンとなった下林選手に言葉の真意を聞いた。

最弱のチームから近畿王者へ

―野球を始めたのはいつですか?

小学3年からです。幼いときから野球好きの父や教会の信者さんに甲子園へ連れていってもらい天理高の試合を観戦していました。紫のユニフォームがカッコよく、夏の県大会で優勝した後におやさとパレードを歩く選手たちを見たときは感動しましたね。天理高野球部に入部したくて中学から硬式野球を始めたぐらい、私にとって憧れでした。

―天理高野球部に入部してどうでしたか?

入学する前年の夏の甲子園でベスト4だったときのレギュラーが残っていたので、体格やスキルなどの面で先輩方との明確な差を痛感させられました。練習がしんどく、日々を過ごすことに精いっぱいでしたが、1年の秋からは公式戦に出場できるようになりました。

―2年生では甲子園出場は叶わず、新チームからキャプテンを任されましたね。

例年は選手間投票で決めますが、私の場合は当時の中村監督に「キャプテンできるか?」と言われました。私にキャプテンシーがなくても、監督指名なら途中で変えやすいからそうされたと思います(笑)。

―秋季県大会は準決勝(3-13智辯学園)で大敗。3位決定戦(2-1奈良高)も苦戦されました。

智辯戦は初回にホームランで2点を先制し、天理はお祭り騒ぎでした。しかし智辯は焦らずにドッシリ構えていました。その後、ホームランと連打で逆転され、天理は一気に心が沈み、5回コールド負けとなってしまいました。でも、この敗戦が大きな転機になったんです。

実は、夏休みの練習試合で負け続け、監督から「ここ数年で一番弱い」と言われていました。試合後の夜、ビデオミーティングをし、弱いなりに勝つには何が必要なのかを考えました。そのおかげで翌日の奈良高戦は気持ちを震い立たせて挑めました。結果はサヨナラの辛勝でしたが、前日と違い焦ることもなく、「こんなところで負けてたまるか」と、みんなの気持ちが一つになった試合でした。

―センバツをかけた近畿大会。初戦(7-1報徳学園)の先頭打者ホームランは見事でしたね。

一番打者を任されていたので、初球からドンドン振ってチームを勢いづけたいと思っていました。智辯戦と違い、先制しても舞い上がらず、点差が開いても「まだ試合は終わってない」と落ち着いていました。もしあの大敗がなければ、報徳戦で敗れていたかもしれません。

―その後も強豪校を相手に勝ち進み、決勝では弱いと言われたチームが大阪桐蔭を12-4で倒して優勝。センバツ出場を確実にしました。

強くないからこそ個々の能力ではなく、チームとしてまとまる意識を持って戦いました。決勝の大阪桐蔭戦は名前負けせず、足元を見つめてチャレンジ精神を持って戦えば結果はついてくるという雰囲気がありました。

優勝の要因としては智辯戦以降の気持ちの変化も大きいですが、練習への姿勢の変化があると思います。夏休みの練習試合期間に、西尾コーチが選手一人ひとりに「本気で甲子園を狙いにいくのか?」と問いかけたことがありました。全員が「甲子園に行きたいです」と答えると、それ以降は練習量がとんでもないことになりました。全体練習が終わっても、室内練習場でバットを振り、投手はシャドーピッチング、内野手はゴロを受けるなど自主練習に励みました。また、一日練習の日でも朝の5時から練習しました。素直な選手が多く、意識を変えて練習する中で、自ずと技術がついていったと思います。西尾コーチには本当にたすけてもらいました。

硬式野球部に根付く「お道のにをい」

―優勝インタビューで「天理教の方々が全国で自分たちのことを応援してくれているので、感謝の気持ちを忘れずに戦うことができました」と話していました。なぜあの言葉が出てきたんですか?

毎試合後に寮に戻ると、幹事さんが「今日は〇〇県の方からおめでとうと電話があったよ」「〇〇教会の方から寮に差し入れをいただいたよ」と伝えてくれていました。また日頃から「天理教の方々のお供えでグラウンドや寮が使えるんだ」と言われていたので、感謝の気持ちがありました。特に私は教会で育ったので、天理教の方々に応援していただいている実感があり、あの言葉が出たんだと思います。

周りの方々は喜んでくださいましたが、メディア的にはNGだったみたいです(笑)。でも本心だったので言わせてもらいました。

―もともと天理教ではない選手から、お道のにをいを感じることはありましたか?

めちゃくちゃありました。白球寮の1日は6時の朝づとめから始まります。入寮後初めての朝づとめで、上級生がよろづよ八首を熱心に唱和して踊っていて、教会育ちの私ですら圧倒されたことを覚えています。白球寮には自主的におつとめをしたり、神殿へ参拝に行く雰囲気が根付いていました。毎月、月次祭まなびを勤めて、天理教の先生を招いて講話をしてもらうんです。おつとめやお道の話に触れる機会が多かったので、いまでも天理に来ると神殿に行っておつとめをする同級生もいますね。

―なぜそのような空気があると思いますか?

中村監督が野球以外のことも多く伝えてくれました。掃除後、ほこりが残っていると厳しく指導し、ボールが転がったままだと物を大切に扱うようにと伝えてくださいました。野球指導はもちろんですが、野球以外のことも大切にされる方でした。そうした思いが選手に伝わりお道の空気感になったように思います。

失われた甲子園

―11月の明治神宮大会で全国3位。優勝候補の一角としてセンバツに選出されながら、大会一週間前にコロナで中止になりました。当時の気持ちはどうでしたか?

新チームになってから「俺たちが全国で一番練習した」と思えるくらい、みんなが腹をくくって練習しました。それくらい甲子園に出たかったんです。

1月末のセンバツ出場決定直後にコロナが流行し、「センバツが中止になるかも」と薄々感じていました。それでも開催を信じ、筋力強化やランニングといった、基礎練習に徹底的に取り組みました。厳しい練習を頑張れたのはセンバツ出場のモチベーションあったからです。

センバツ中止はグラウンドで言われました。その後は誰もしゃべらず、ミーティングもせずに帰りました。歩きながら「おれたち何のために頑張ってきたんだ」とモヤモヤした感情でした。帰寮して、みんなの顔を見たら涙が出てきて、みんなで泣き崩れました。

―本当につらいですね。どのようにして前を向いていったんですか?

きっかけは同級生の言葉でした。泣き崩れる私にみんなが「一番頑張っていたのはおまえや。だからおまえには付いていこうと思った」と言ってくれたんです。そんなこと言ってもらえると思っていなかったので、もっとチームのために頑張ろうという気持ちになれました。すぐに前を向くことはできませんでしたが、キャプテンがいつまでも下を向いていたら、チームも暗くなります。みんなの言葉を思い出して自分を奮い立たせながら、チームの空気を切り替えるのが自分の仕事だと思って練習しました。

―5月に夏の甲子園、また代表校を決める都道府県予選の中止が決まりました。どんな心境でしたか?

「おれたちは何のためにやってきたんだろう」という気持ちでした。幼いときから憧れた甲子園出場のために天理高に入学し、たくさんの応援を受けながら野球をしてきました。寮生活では親の有り難さを実感して、天理高の良さを知りました。そうしたこれまでの感謝の気持ちも込めて練習に取り組んで、目指していた甲子園がなくなったんです。めちゃくちゃ悔しいし、その気持ちをぶつける場所もなくて、涙も出なかったです。

「恵まれた学年」と言えた理由

―7月に奈良県高校野球連盟主催の独自大会が開催されました。優勝しても甲子園には出られない大会、どんな気持ちでしたか?

センバツも夏の甲子園もなくなり、気持ちが切れかけている選手もいました。そんな選手を奮い立たせるのがキャプテンの役割ですが、私も当事者なので気持ちがとても分かるんです。どう声をかけたらいいのか本当に悩みました。

ある日、同級生でミーティングをして独自大会の目標と目的を決めたんです。目標は奈良県大会優勝、目的は「支えてくださった方々に喜びを与える」を掲げました。特に目的を大切にして全員で独自大会に向かうと決めました。監督も「そういう気持ちがなかったら奈良県1位にはなれない」と言ってくださり、甲子園には出られないけど、支えてくださった方々に優勝して喜びを与えたい一心で練習に取り組みました。そこにかけた思いはどこにも負けていないと思います。

当時はコロナの真っただ中だったので、寮生活か自宅通いか選択できましたが、全員が寮に残ることを選び、グラウンドと寮を往復するだけの2ヶ月間を過ごしました。外出も一切できず、自宅通いの方が楽だったと思いますが、そこを乗り越えたことも自信になり、優勝することができました。

―強いから優勝できたと思っていましたが、そういう背景があったんですね。

中村監督から独自大会は3年生だけで出場すると言われました。全員が出る機会を与えてもらい、チームが一つになって目標と目的に向かえたので優勝できたと思います。甲子園はなかったけど、めちゃくちゃうれしかったです。

―独自大会が開催されて良かったですか?

あの大会がなかったら何を目標にしていいのか分からないまま引退していたと思います。苦しい状況でも、みんなで定めた目標目的を達成するためにチーム一丸となって戦えたことは大きな学びでした。

―8月に開催された交流試合で広島新庄高と対戦しました。私も勝敗は関係ないのに、食い入るようにテレビ観戦をしました。

中村監督に「甲子園は一瞬で試合が終わるよ」と言われましたが、本当に一瞬で終わった感覚でした。甲子園はすごい場所でした。負けて悔しかったですが、最後に甲子園で試合できるだけでうれしかったです。

―試合後のインタビューで「最後に甲子園で野球をやらせていただいて、本当に恵まれた学年だったなと自分たちは思っています」と話されていました。なぜあの言葉が出てきたんですか?

本当に恵まれた学年だと思えたんです。最後に甲子園でプレーする機会を設けてもらい、報われたというか、すごくうれしくて。奈良県の独自大会も甲子園の交流試合も「なんとか開催してあげたい」という一心でいろんな方が私たちのために動いてくださっている実感もあり、恵まれていると思いました。

何より、天理高での3年間の経験が大きかったです。良い学校で、良い環境で野球をさせてもらえたと今でも思います。

―あの言葉の反響はありましたか?

強く印象に残っていることがあります。私は中学まで大きな声を出せない静かな選手でした。天理高に入って声を出す大切さに気づき、全力で声を出すようになりました。中学校の先生方は、「下林がキャプテンやっているのか」「あんなに喋れるようになったのか」と、感動してくださったそうです。

―高校での経験は天理大でも生きていますか?

高校では「当たり前は当たり前ではない」ということを強く感じました。元気な体があり、ある程度のスキルがあるから、今も大学で野球をさせてもらえる。歴代の方々のおかげで強いチーム状態があり、良い練習環境がある。甲子園がなくなるといった、例外なことを多く経験したおかげで、当たり前ではないのだと感じられた。それが大学で生きていると思います。

―今後の目標はありますか?

社会人野球を目指しています。現在リーグ戦6連覇中なので、まずチーム全員で優勝して、社会人で野球がしたいという夢を叶えられたらいいなと思います。

伊勢谷のふりかえり

天理高が独自大会で優勝したとき、「やっぱり強かったな。甲子園が開催されていたら…」そう思った。でもそれは間違いだった。気持ちが切れかけても目標目的を共有して一丸となって戦ったこと。支えてくださった方のために必死で練習に取り組んだこと。コロナ禍の寮生活を全員で乗り越えて自信に変えたこと。実力以外のことに真剣に向き合ったからこその結果だと思う。実力という「見えるもの」だけで判断して、気持ちや姿勢、まとまりなどの「見えないもの」を置き去りにしていた。

下林さんが「恵まれた学年」と思ったのは、きっと同じことではないか。だから、甲子園中止という見える事実だけで判断していた私には衝撃だった。
お道の人間として大切なことを教えてもらった。

(文=伊勢谷和海、写真=根兵一生)

天理大学野球部は阪神大学野球春季リーグ戦で見事7連覇を達成しました。6月10日に開幕する全日本大学選手権に出場します。応援よろしくお願いします!

下林源太さん/SHIMOBAYASHI GENTA

2002年大阪府生まれ。小学3年から野球を始め、中学ではボーイズリーグで硬式野球を行う。天理高では1年秋から主力として活躍。2年秋、主将として秋季近畿大会優勝、明治神宮大会3位。3年春、センバツに選出されるも戦後初の大会中止。天理大では1年生から3年連続で大学選手権出場、3年時はリーグ戦ベストナイン獲得、明治神宮大会ベスト8進出。今年からキャプテンとしてリーグ戦7連覇を目指すチームを引っ張る。

伊勢谷和海/ ISETANI KAZUMI

1984年愛知県生まれ。天理高校、天理大学卒業後、天理高校職員(北寮幹事)として勤務。好きなスポーツは野球・陸上・相撲・ラグビーなど多岐にわたる。スポーツが好き過ぎて、甲子園で校歌を数回聞くと覚えてしまい、30校以上の校歌が歌える。スポーツ選手の生年月日・出身校も一度見たら覚える。高校野球YouTubeチャンネル「イセサンTV」を開設。ちまたでは「スポーツWikipedia」と称される。

ハートボタンを押してFRAGRAを応援しよう!!

新着記事
完全なる私の偏見

イラスト:オノユウジ オノユウジ イラストレーターでありデザイナー。書籍、広告、WEBなど、様々な媒… 続きを読む>> 完全なる私の偏見

幻の甲子園で輝いた球児/下林源太さん×伊勢谷スポーツ俱楽部

「天理高野球部、忘れられないキャプテン」 2020年、天理高野球部――。 出場が決まっていたセンバツ… 続きを読む>> 幻の甲子園で輝いた球児/下林源太さん×伊勢谷スポーツ俱楽部

FRAGRA FAMILY MAY 2024

家族入隊 at home 青年会ひのきしん隊では現在、ご家族で入隊できる「家族入隊 at home」… 続きを読む>> FRAGRA FAMILY MAY 2024

世界で発見!こんなところにようぼく#4│丸い心で

世界には、日本で暮らしていてはおよそ想像のできない生活がある。そこには、価値観が全く違うからこそ感じ… 続きを読む>> 世界で発見!こんなところにようぼく#4│丸い心で

JOYOUSCUPの参加で世界の子供たちに笑顔を│サッカーボールをタイへ寄贈

2023年11月25日に、天理教青年会の一大行事である第97回天理教青年会総会が開催されました。この… 続きを読む>> JOYOUSCUPの参加で世界の子供たちに笑顔を│サッカーボールをタイへ寄贈