シュウヨウカメモリーズ#2 「自分の心に矢印を向けることが、いちばんのにをいがけ」
“もう教会を出ていこう”
「逃げるような形で教会をあとにしました。でも本心では、教会で家族仲良く暮らしたい思いでいっぱいでした」
本部勤務中に結婚。その後布教の家を経て、教会での二世代同居生活が始まった。ところが家族関係がうまくいかず、半年ほどで妻と二人で教会を出ることに。
「私たち夫婦が何か変わらなければ」
奥さんと話し合った末に出した答えが「修養科」だった。
今回はそんな清水雄介さんの、修養科でのメモリーをお届けする。
今回インタビューしたのは
メモリーNo.2
Name : 清水 雄介さん
Age : 33歳
From : 神奈川県
当たり前の中にもご守護がある
三人分伏せ込もうと決意した修養科志願
――修養科に入ったきっかけは?
私は本部勤務中に妻と結婚し、退職後、布教の家(埼⽟寮)を経て⼀年間布教地に残り、その後、教会に戻りました。ところが、二世代の同居生活によって家族関係がうまくいかず、半年ほどで教会を出て、妻と二人で暮らすことになりました。その間、第一子の流産も経験し、私の心はどんどんしんどくなりました。
そんな状態でしたので、「私たち夫婦が何か変わらなければ」と妻と話し合って出した答えが修養科志願でした。
修養科を志願してすぐに、不思議なことが起こりました。妻の妊娠です。
結婚してからなかなか子供が授からなかったので、九年越しの願いが叶った瞬間でした。心を定めたら本当にご守護いただけると実感しました。当初は、私と妻の二人で修養科に入る予定でしたが、妻の出産の時期が重なり、私一人で修養科に入ることになりました。妻と子どもの分、合わせて三人分伏せ込もうと思いました。
“普通” がありがたいと気付かせてくれたクラスメイト
――クラスでの思い出はありますか?
私は三番組係をつとめました。三番組係は主にひのきしんのお世話取りをします。私のクラスは高齢の方や身上の方、天理教の教えに触れてからまだ間もない方など様々でした。正直、大変なことも多かったです。ですが、私を救ってくれたのもクラスメイトでした。
修養科のプログラムに、クラスメイト同士で話し合う “ねりあい” の時間があります。クラスメイトとの “ねりあい” は、自分の信仰を見直すきっかけになりました。特に、自分とは比べものにならないほど大変な経験をされた方の話が印象に残っています。私はこれまで、親神様のご守護のありがたさを頭では理解していました。ですが、クラスメイトの大きな身上や事情の話を聞かせてもらうことで、“普通”に生活できることは本当にありがたいことだと心から思いました。体が健康なこと、朝起きられること、ご飯を食べられること、そして命があること。当たり前の中にも常に親神様のご守護があることを改めて気付かせてくれたクラスメイトに感謝です。
強いこだわりが自分を苦しめていた
明るい人には人が集まってくる
――担任の先生や教養掛の先生に言われたことで印象に残っている言葉はありますか?
ある日、教養掛の先生から「こだわりが強い人には、人は集まってこない。明るい人に、人は集まってくるんだよ」と言われました。私はハッとしました。
これまでの私は、「教会はこうであらねばならない」「後継者はこうでなければならない」「教会の嫁はこうあるべきだ」と、こだわりが強かったと思います。教会長である父の姿に「教会長なんだからもっとしっかりしてほしい……」と不足することも度々ありました。同じように母にも妻にも不足していました……。
教養掛の先生の言葉は、かたちに囚われていた私の考え方を大きく変えてくれました。肩肘張らなくても、自分が楽しめば人は自然に寄って来てくれる。自分や教会が理想の姿に近づくためには、まずは自分が明るく、陽気に通ることが大切だと気付きました。それと同時に、家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。家族であっても、相手に求めるのではなく、自分の心を変えていくことが肝心だと、自分の心に矢印を向けることができるようになりました。おそらく、修養科が終わってからもいろいろな問題に直面すると思います。でも、起こってくるすべてのことは親神様が見せてくださることだと、いまではそう思えます。
親神様が私たちの心を繋いでくれた
――修養科に入って、何か家族に変化はありましたか?
私の妻は、天理教の教えは好きでも、教会に嫁ぎたいと思っていたわけではありませんでした。それでも教会に嫁いでくれた妻に、まずは感謝すべきだったんです。にもかかわらず、私は妻に対して「教会の嫁はこうでなければならない」という自分のこだわりを押し付けていました。妻の心に寄り添えていなかったのだと反省します。そして、妻と信仰の話をするどころか、妻の心がどんどん親神様から離れていくのを感じました。
ですが、不思議なことに、修養科に来てから妻と信仰の話をする機会が徐々に増えたんです。生まれてくる子どものためにこれからどんな通り方ができるかなど、教えに基づいた会話が多くなったと感じます。本当に嬉しかったのは、妻の口から「教会に戻ったら、こんなことしたいね」という言葉を聞けたときです。離れていた妻の心が、親神様の方に向いた瞬間でした。妻の心を親神様が引き戻してくれたんだと感激しました。
「家族みんなで仲良く暮らしたい」
それを実現させるためには、「小さなことで不足をしている場合ではないぞっ!」と親神様に背中を押されている気がします。そして、生まれてくれる子どものためにも、親神様にもたれる心を忘れずに今後も “家族” で信仰を続けていこうと思います。
おわりに
「つらい状況は “陽気ぐらし” に向かうために必要なことだと思う。親神様にもたれる心、受け入れる心を作るきっかけになる修養科生活になりました」
インタビューの最後に、清水さんはそう語ってくれた。
続けて
「って、えらそうに言ってますけど、家に戻ったらまた不足するんでしょうけどね(笑)」
不安を含みながらもそう語る清水さんの眼差しからは、それでも絶対に乗り越えられるという自信を感じた。
そこには⼀⼈ひとりのドラマがあり、かけがえのない思い出となってそれぞれの胸に刻まれていく。3ヶ月間、親神様・教祖のお膝元で様々な人々が、寝食を共にし、教えを学び、“陽気ぐらし”という人間本来の生き方を学ぶ場所。それが修養科である。
⼈類のふるさと、おぢばに伏せ込む3ヶ⽉。全国各地から⽼若男⼥が寄り集い、共に過ごす時間の中で信仰を深めるとっておきの時間。
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