第4回 足りないところを認め、補い合う
地域に根ざした教会になりたい――。昨年6月、そんな思いから「こども食堂『ひとつぶ』」をスタートした余村元さん(36歳・多古浦分教会長)と理美さん(37歳・同会長夫人)。二人は絶妙なバランスで、互いを立て合い、大切にしている。第4回目の〝薫り人〟は、そんなお道の夫婦の〝にをい〟を紹介する。
日本海に面した島根県松江市島根町。海岸沿いにある多古浦分教会の玄関先に、「こども食堂『ひとつぶ』」の看板が掲げられていた。
エプロン姿の元さんが優しい眼差しで食堂のにぎわいを眺めている。視線の先には〝ママ友〟たちとの会話に忙しい理美さんの姿があった。
「当初から、こども食堂がママ友同士の悩みを共有するおたすけの場になっています。妻であり、母親である理美にしかできないことだと思います。それに、妻が生き生きしているのがうれしいです」
「実は『こども食堂』をやりたいと言い出したのは私なんです」と教えてくれたのは理美さん。「当初は『自分一人でもやったんねん!』って意気込んでいましたが、会長である主人のサポート無しには絶対にできませんでした。本当に感謝しています」
「相思相愛の夫婦ですね」と言うと、二人は「ん?」と息ピッタリに顔を見合わせ、「ぜんぜん!」と言葉をシンクロさせる(テレを隠すのも息ピッタリだ)。
元さんは言う。
「私たちは性格がホント真逆で、ケンカもするし、参考になるような〝仲の良い夫婦〟ではないのかもしれません。けれど、『にぎやかな教会にしたい』という同じ目標に向かって、すごく〝心を合わせている夫婦〟であることは確かです」
ただただ、彼をほっとけない
天理大学雅楽部の先輩と後輩だった二人。互いに「相手の第一印象は最悪だった」が、後に恋愛関係に。先に卒業した理美さんは本科実践課程などで学んだ後、地元の滋賀県で就職。元さんは「布教の家」広島寮への入寮や上級教会の青年づとめなど、伏せ込みの日々を送った。
交際7年目を迎えた頃、元さんの身体に異変が生じた。「元々、何でもできるという〝根拠の無い自信〟がありました。でも、布教の家で自分の限界を感じ、心の糸がプツンと切れてしまいました」
布教の家から自教会へ帰った後、無力感と喪失感で何もできず、一日中ゴロゴロするようになった。次第に昼夜が逆転し、食事も喉を通らなくなった。理美さんの実家を訪れた際には食事を戻してしまい、先方の両親から心配される有り様だった。「天理教の教会にいながら、全く人の役に立てていない自分がますます嫌になった」
医師の診断は「うつ病」。
当時、結婚へ向けて本格的に準備を進めていた二人。理美さんはその時の心境を告白する。
「女性にとって結婚前はウキウキする時間だと思いますが、私の場合は『この人に付いて行って大丈夫なんやろうか』と、将来に対する大きな不安だけでした。でも、ただただ、彼をほっとけなかったんです」
全て妻のサポートのお陰です
平成25年5月28日、二人は結婚。結婚後も夫婦の苦しみと葛藤の日々が続いた。
とにかく主人をたすけたい――。そんな思いから理美さんは元さんにこう提案した。
「元さんは話をする時、いつも『自分が、自分が』って口癖のように言っているのに気づいている? 自分の考えや力だけに頼るからしんどくなると思う。自分の心に向いているベクトルを、他の人へ向けてみいへん?」
元さんはハッとした。「妻に指摘されて初めて、自分の事しか考えていない自分に気づいた」
二人はこの時、夫婦お互いが毎日1回「おさづけ」を取り次ぐという心を定めた。
後日、元さんはふと心の変化に気づいた。「朝、起床した時、『今日は誰におさづけをしようかなぁ』と考えている自分に気づいたんです。すごく心が晴れていました。『自分のことではなくて、人のたすかりを考えている時って、こんなに心が〝楽〟なのか!』と目が覚める思いでした」
この日を境に、抗うつ薬の服用量が徐々に減り、薄紙を剥ぐように回復した。その頃から、理美さんの後押しもあり、夫婦は県内の布教有志グループ「勇み塾」に参加し、街頭でにをいがけに励むようになった。理美さんがリーフレットを配る傍らで、元さんは自らの心のたすかりについて路傍講演した。
夫婦でにをいがけを始めて1年後、結婚から3年目に待望の第一子を授かった。二人の信仰に一層拍車が掛かった。
元さんは言う。
「いまでも常に〝心の方向〟を確認する毎日です。元気に青年会や地域の活動ができているのは、全て妻のサポートのお陰です」
ホンマうれしかったし
令和元年、元さんが教会長に就任することとなった。理美さんはひそかに願望を抱いていた。
「以前からもっと地域に根ざした教会にしたいなぁと考えていました。教内誌やSNSなどを通して、たくさんの教会で『こども食堂』を実施されているのを知って、『これ、したいな!』って心から思ったんです。でも、いつスタートが切れるかなぁって・・・・・・」
「腰が重たい私から賛同を得られないと思っていたんだと思います」と、元さんが横から口を挟んだ。
同じ頃、教区青年会委員に任命された元さん。「教区青年会の活動は、やりがいがあって〝新しい自分〟に出会える連続でした。けれど、何事にも受け身の私は、任命された当初はホントやる気がありませんでした」
そんな中、教区青年会の「そうだ、社協へいこう!」という活動に参加。これは地域の社会福祉協議会へ訪れて、地元の悩みごとやニーズについて学ぼうというもの。
「火つきが悪い私は、社協で地域について学びながらも、どこか他人事でした。けれど、委員の仲間たちがフードバンクなど様々な地域活動に動き出して、私の心はザワつき始めました」
彼のザワつきに呼応するように、上級教会の婦人会行事から帰宅した理美さんが突如、「教会で『こども食堂』をやりたい。夫婦で社協に行かへん?」と誘ってきた。
「青年会で社協へ行って以来、主人の意識が地域へ向いていました。そんな時に、婦人会で元福祉士という方に出会い、思いを伝えたら、『絶対やったほうがいい』と太鼓判を押されたんです。『いまだ!』と強く思いましたし、教祖から背中を押された気分でした」
一方、「正直、『マジかぁ』と思いました(笑)」と明かす元さん。
「けれど、すごく目をキラキラ輝かせて、自分の想いを力説する妻を見て腹をくくりました。青年会で社協に行っていなかったら、こども食堂の実施に絶対に踏み切れていなかったと思います。思い返せば、神様からすごいタイミングのご守護を頂戴しました」
気恥ずかしそうに本音を打ち明ける元さんに対して、理美さんはサラッと言った。
「『社協、俺が電話するよ』って言ってくれたとき、ホンマうれしかったし」
夫婦には役割がある
コロナ禍にも関わらず、毎回30人以上が集まる「こども食堂『ひとつぶ』」。地元紙にも特集記事が大きく掲載され、地域とのつながりも強まってきた。
しかし、当初は近隣住民から「なぜ天理教の教会でやるのか」「コロナ禍に人を集めるのか」といった厳しい意見も聞こえてきた。「そんな時、主人が一人ひとりに頭を下げてくれました。そして、いろいろな手続きも全て主人。感謝でしかありません」
元さんは言う。「対外的なことは教会長の私がやればいい。夫婦でちゃんと役割があり、お互いに足りないところを補い合えばいいと思っています。私のような超慎重派は、いつも妻の行動力に学んでいます」
最後に、記者は理美さんに「結婚していま幸せですか?」と愚問を投げかけた。
彼女は力強く即答した。
「主人が元気で、いま、同じ目標に向かって心を合わせて進めています。それが本当に有り難くて、最高に幸せです」
(文=石倉勤、写真=廣田真人)
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