クボタスピアーズ・立川×井上×田村同級生トリオ│伊勢谷スポーツ俱楽部
「天理ラグビーが応援され続ける理由」
4月中旬、千葉県にあるクボタスピアーズ船橋・東京ベイ(以下:スピアーズ)のグラウンドに、天理高校出身の3人のラガーマンが勢揃いした。
優勝を狙うスピアーズのキャプテン・立川理道選手。2015年ラグビーワールドカップでの活躍は未だ記憶に新しい。
今シーズン限りでの引退を発表、世界最高峰の国際大会・スーパーラグビーでもプレーした元日本代表・井上大介選手。
現役時代はタックル、オーバー、ブレイクダウンと大車輪の活躍、現在は普及担当としてラグビーの発展に力を注ぐ田村玲一さん。
天理で育まれ、ラグビーとともに歩んだ彼らの心に「天理ラグビー」はどのように刻まれているのか、話を聞いた。
高い目標が生んだ「まとまり」
―立川さん、井上さんは「やまのべラグビー教室」で4歳からラグビーを始めたんですね。
井上 先生がパスをしたボールを受け取ってトライをする練習やかけっこなど、ラグビーの楽しさを教えてもらいました。
立川 「やまのべラグビー教室」の練習では、楽しむことを一番に考えてくれていました。私も大介も先生から受けた影響が大きかったですね。
なので、天理中学でラグビー部に入るのは自然な流れでした。
―田村さんは橿原ラグビースクール出身ですが、なぜ天理高校に進学したんですか?
田村 私は花園(冬に開催される全国大会)に出場したいと思っていたので、当時、県内で一番強かったので天理高校に進学をしました。
―天理高校でチームメイトになった3人は花園でも活躍しました。立川世代は仲が良く、まとまっているイメージがありました。
井上 まとまれたのは奇跡なんです(笑)!ラグビーと生活面を厳しく教えられている天理中学組と、やんちゃな大阪出身の選手が一緒に過ごすので、1年生のときは衝突することが多かったです。ただ2年生になり、仲良くなってくると、面白いキャラの選手や突っ込み役の選手など、個性が分かってきて、だんだんとまとまりが生まれてきましたね。
―天理中学出身選手の仲が良いから、大阪出身の選手が良い雰囲気に染まっていったのではないですか?
田村 たしかにそれはありますね。
立川 部員27人中、天理中学出身が16人とすごく多かったので、天理組の雰囲気に染まったのかもしれません。
私たちの代は、負けず嫌いな選手がたくさんいました。まとまることができたのは、負けるくらいならまとまろうというマインドがあったからだと思います。それまでは勝てない時期が続いたので、私達の代で「日本一」という目標を立てました。
田村 明確な目標を立てたことで、試合に出られない選手もオフフィールド(ラグビー以外の生活面)でも天理らしく行動しようというマインドを持てたと思います。
新チームになり、選抜大会(春に開催される全国大会)でベスト8という結果を残せたので、日本一を現実的に目指すことができたと思います。
―私は天理高校の職員(北寮幹事)をしたので、立川世代のことはよく覚えています。ラグビー部の生徒は「こどもおぢばがえりひのきしん」を楽しんでいる印象がありました。
井上 ひのきしんの翌日から合宿があって、地獄を見る前に精いっぱい楽しみたかったんです(笑)。
立川 普段の学校生活では話すことのない学生と関われることも新鮮でしたね。
―最終日のフィナーレで、ラグビー部の3年生が「おぢばがえりサイコーや!」と泣いていたのを覚えています。
田村 あ、それ私ですね(笑)。
一同(爆笑)!!
井上 それくらい練習が苦しかったんです。学校から寮へ帰ると、練習メニューが書いてあるんです。「フィットネス」の日は、見た瞬間にショックでカバンを落としちゃうんです(笑)。
立川 私は、そこまで苦ではなかったですけどね(笑)。
本気で目指した大学日本一
―3年生では花園ベスト8の成績を残しました。その後、天理大学へ進学したのはなぜですか?
立川 小松監督の存在が大きかったです。高校時代から、天理大学との合同練習のときに、よく話をさせてもらっていました。一つ上に兄(立川直道、現・清水建設江東ブルーシャークス)がいたので、何の迷いもなく天理大学一択でした。
田村 一つ上の立川直道さん、堀田豊一さんが進学していたので、一緒に天理大学を強くしたいと思いました。
井上 私は大学でラグビーを頑張る気はなく、ラグビーの推薦で大学に入れたら良いと思っていたんです。ところが、ある大学の最終試験で落ちてしまって、体育教師になりたくて体育系の大学を目指していた時期に、併願していた天理大学に受かったんです。不思議と天理大学で良いかなと思えて進学しました。
ラグビーを続ける気はありませんでしたが、同級生が入部したので私も所属だけして、あとは楽しい大学生活を送ろうと思っていました。
―入学当時の天理大学は決して強豪ではありませんでしたが、4年時には大学選手権で準優勝しました。その要因はなんですか?
立川 1年時から試合に出て、学年が上がるにつれてチームが強くなっている実感はありましたが、関東の大学との差を感じていました。2年時に出場した大学選手権では東海大学に大敗(12-53)しました。新チームでは兄がキャプテンになり、関東の大学に勝つために一生懸命練習をしましたが、大学選手権で再び東海大学に敗れたんです(6-27)。もっと本気にならないと勝てない、そう感じて4年生のときは日本一を目標に掲げました。
田村 東海大学は良い選手が揃っている上に、朝練もして鍛えていたんです。3年時に天理も朝練を始めたことで、前年よりは善戦できたんです。そこで悔しさと手ごたえを感じられて、4年生のときには日本一を目指せるチームだと思えました。
井上 1年時は、同級生が7人ベンチに入っていたんです(ベンチ入りは23人)。また後輩に良い選手が入部していたので、4年時にはいい戦いができると感じていました。4年生の菅平合宿で強豪の明治大学にも勝ち、自信から確信に変わりました。
―天理大学が強くなる一方、天理高校は立川世代以降、5年間花園に出場できませんでした。気になりましたか?
井上 気にしていました。幼いときから天理高校が花園に出場することは当然のように感じていたので、出場できないことは残念でした。選手も指導者の方も知っているので、苦しいだろうなと思っていました。だからこそ昨年度、天理高校が花園に出場して、ベスト4に進んだのは嬉しかったですね。
田村 母校なので寂しかったですが、御所実業と切磋琢磨して奈良県のレベルが上がることは良いことだと思います。奈良県はラグビー部がある高校が少ないので、県内でラグビーができる環境が増えたら良いなと思います。
お道の教えが活きた経験
―大学卒業後、スピアーズに入団して、天理の教えが活きた経験はありますか?
立川 「当たり前のことが当たり前ではない」、これを忘れないようにしています。プロになると練習の準備、水分の用意、テーピング巻きなど、すべて裏方さんがしてくれます。それが当たり前になると、人間性にも、プレーにも出てくるし、選手としての成長もなくなると思います。天理で学んだおかげで、自然にそう思えます。
田村 怪我をしたときに、チームのために何かできないかと考えて、ビーチクリーニング(海岸清掃)を始めました。多くのチームメイトが参加してくれて、コミュニケーションを取る良い機会となりました。
私は「一手一つ」が好きなんです。怪我をしたから何もできないではなく、チームの目標のためにできることを考えて活動しました。チームのつながりが広がり、天理での7年間が活かされたと思います。
―そのような状況で前向きな心を使えたのはすごいですね!
田村 2年間怪我でプレーできなかったので、辞めた方が楽かなと思ったこともありました。でもラグビーしているときだけがラグビー選手ではない、オフフィールドでも選手でいることができると思ったんです。
立川 腐りそうな選手は自分の居場所がなくなります。キャプテンである私が、そうした選手をサポートするのが通例ですが、スピアーズの良さは彼らが主体的に存在意義を作ることができ、その活動をチームとしてサポートする流れがあるところです。玲一がその一歩目をやったのはとても大きくて、ビーチクリーニングがチームの文化になり、試合に出られなくてもできることを玲一が表現してくれた。キャプテンとしてありがたかったし、チームの土台になっています。
井上 妻のお義父さんに「教祖や真柱様が一手に振った方向(親神様の教え)にみんなが沿って進んでいく」、これが一手一つの意味だと教えてもらいました。
また、フラン(スピアーズヘッドコーチ)が選手に「セイムページ」(チーム間でのビジョンを共有するラグビーのフレーズ)の大切さを伝えてくれるんです。ボートを進めるとき、みんなが同じタイミングで同じ方向にこぐから早くボートが進む、それと一手一つがリンクしたんです。フランの一手(ビジョン)に、みんなが同じ方向を向いて進んだらチームは強くなる。まとまれる組織は強いよなと感じたんです。
天理ラグビーとは
―みなさん天理のマインドが活かされているんですね。逆にプレーの面で、天理ラグビーと天理以外のラグビーの違いは何だと思いますか?
立川 体の小さい選手がひたむきにプレーして勝つのは、天理の伝統だと思います。小さいから強豪大学に行けなかった選手たちを鍛えて、そして大きな選手も一緒になってひたむきにプレーする、だから強いんだと思います。
井上 天理なら小さくても試合に出られるという印象があると思います。小さいけどタックルは良い、そんな選手が全力で頑張るんです。小さくてもやれる、そんな強い気持ちを持つ選手が多いと思います。
田村 大学選手権決勝の帝京大学戦(12-15)では、2Mを超える留学生もいる帝京の大きいFW(フォワード)に対し、天理は小さいFWでも良い戦いができたんです。大きい選手が相手でも勝負できることを証明できた試合でした。
―大きい選手に臆することなく立ち向かえるのはなぜですか?
立川 純粋に負けず嫌いなんでしょうね。ラグビーは大きいから勝てるわけではないですし。
井上 大きい選手と戦うのが当たり前だったので、あまり気にしていなかったです。走り勝つ、当たり勝つ、それを続ける先に試合に勝つことを目指していました。
―昨年度の天理高校のキャプテンへの取材で、「天理ラグビーとは何ですか」と聞いたら「ひたむき」と言っていました。立川さんもさきほどひたむきと仰いましたね。
立川 そこは変わらないし、絶対にブレないですね。どんな逆境でもひたむきに頑張る、それは私生活にも活かされるんです。
―ひたむきさも天理が応援される理由なんでしょうね。
井上 帝京戦では、スタンドからの声援が、天理の方がだんだん大きくなっていくのを感じたんです。
田村 天理がボールを持つと歓声があがって、盛り上がりを感じました。日本人の心を揺さぶるようなひたむきなプレーだからこそ応援していただけるのだと思います。
日本一あたたかいラグビーの街
―スピアーズに入って、天理ラグビーで育って良かった経験はありますか?
田村 親里ラグビー場で公式戦をしたときに、天理の方々がすごく応援をしてくださったのが嬉しかったです。
井上 スピアーズに天理出身の選手が多いことから親里で開催されたのだと思いますが、まるでホームで試合をしているような感覚でした。
―地元出身のラグビー選手が凱旋して、街全体で応援するのは日本でも天理だけかもしれませんね。
田村 そうかもしれないですね。
―立川さんは基本スキルを徹底的に鍛えたことが、活かされたと仰っていましたね。
立川 中学から大学まで特別なことは全くしていなくて、基本スキルを繰り返し行っていました。それが日本代表などの高いレベルでも、すぐに対応できた要因だと思っています。
井上 私はあいさつや礼儀を徹底的に教えてもらったのがありがたかったです。どこでも必要なことで、社会でも通用することですから。
―以前取材した宮本啓希さん(現・同志社大学ラグビー部監督)が、天理は反復が学べる場所だと仰っていました。
田村 日々、反復を練習することで、試合中でも無意識にプレーができるんです。高校に入学したときも、天理中学出身の選手は基礎がきちんと身についていました。
井上 天理にいるとおつとめや、ひのきしんをすることが当たり前なので、私も一生懸命やっていたと思います。学生なら嫌になることも、当然のように反復できるのは天理のカルチャーかもしれません。
―最後に天理ラグビーファンの方にメッセージをお願いします。
立川 天理の代表として恩返しができるよう、また天理ラグビーの子ども達の手本となれるように、これからも頑張っていきたいと思います。
田村 天理で7年間ラグビーをさせてもらい、成長することができました。現役は引退しましたが、天理に恩返しをしたいと思いますので、よろしくお願いします。
井上 天理出身者としての誇りを持ってこれからも頑張ります。
―ありがとうございました!
天理ラグビークラブ(TRC)では、5月4日に「TRC Fan Thanksgiving Day 2023」を親里ラグビー場で開催する。
当日は「タグラグビー大会」や、お昼の時間を充実させる出店、「天理高校バトン部」や「バトンチームALLEGROS」によるハーフタイムショーなど、誰でも楽しめるイベントをご用意。
スピアーズの3人が話してくださった素晴らしい天理ラグビーが、ますます多くの人たちに親しまれ、伝承されるように、ファンの方々に喜んでいただけるイベントになっています!
詳細は下記URL、天理ラグビークラブInstagramよりご確認ください。
https://instagram.com/tenri.rugby.club?igshid=YmMyMTA2M2Y=
(文=伊勢谷和海 写真=廣田真人)
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