〈第3回〉天理ラグビーの申し子/竹内健人さん×伊勢谷スポーツ俱楽部【後編】 「お道の人たちに刻まれている天理カルチャ―」
竹内さんが天理にいたのは天理高校在学中の三年間。私のように大学、本部勤務などで十年以上いる人には、三年は短く映るかもしれない。
しかし、お道を知らずに天理に来て、天理に触れてから東京・愛知で生活する竹内さんには、私たちとは全く異なる「天理」が心に刻まれていた。竹内さんの目に映った天理の景色に迫っていく。
大切にしていた朝夕のおつとめの
―天理高校卒業後に天理に来ることはありましたか?
高校三年時のこどもおぢばがえりのひのきしんの場所が「こどもミュージカル劇場」で、大学一年生の夏には後輩たちに差し入れに行きました。五歳下の弟も天理高校ラグビー部に在籍していたので、その時にも数回来ましたね。
―竹内さんは天理での思い出に定刻参拝と寮での夕づとめを挙げていましたね。
朝は神殿で定刻参拝、夜は寮で夕づとめがあって、特に夕づとめは「今日はこんなことを考えていたな」、「こんなことができたな」って必ず振り返っていました。
そんな気持ちでおつとめをしていた同級生が多かったです。10分程度の時間ですけど、自分と向き合う時間でしたね。だからこそ思い出深いです。
―未信仰で天理に来て、おつとめは抵抗なかったですか?
まあ、郷に入れば郷に従えって感じですよね(笑)。
身上を通してのおぢばがえり
―トップリーグの豊田自動織機に進んでから天理に来られたエピソードが印象的でした。
トップリーグ二年目の時に心臓を手術したんです。
天理高校進学の際に、母の友人の旦那さんが天理教の方でお世話になったんです。その方が、豊田の病院まで来てくれて、おさづけを取り次いでくれたんです。
その後、「あなたは神様に生かされているんですよ。だから大阪に帰る機会があったら一度天理に寄った方が良いですよ」と言ってくれたんです。それで退院後に天理に行こうと思いました。
同級生と電話している時に、今度天理に行くことを話したら「天理で大亮におさづけしてもらったらいいやん」って言ってくれたんです。
大亮とはラグビー部の同級生だったので、久しぶりに会いたかったし、大亮におさづけしてもらおうと思ったんです。結局大亮が天理にいなかったので、会えませんでしたが、久しぶりに神殿まで行きましたね。
―天理に来ると原点に立ち返れると仰っていましたね。
天理に来て、ふと思い出せることってあるじゃないですか。自分はここで育ったんだなと思い返して、また一から頑張ろうという気になれるんです。
この天理だからこそ思い出せる、感じるものが僕の中にはあるんでしょうね。
社会で活かされるお道の精神
―天理の魅力はなんですか。
天理の環境は凄いですよ。「一手一つ」という言葉を使うのは天理だけですよね?天理の人って初対面でも「みんなで一緒にひのきしんしてください」って言われたら、やりますよね。私の知っている世界では有り得ないですよ。
勾田寮の生活でも、中学までお山の大将だった人ばかり集まって、みんなで一つの物事に真剣に取り組むわけですから、なかなかない環境じゃないですか。
私は今、会社で様々な事業部の人が集まって一つのミッションをこなすという研修を受けていますが、天理の経験は強いです。自分自身が、そのミッションを楽しめるし、前向きに取り組めるんです。雑用もできるし、必要なことを発信できるし、多くの人がいる中でそのチームがまとまるために必要な動きを自然にできるんです。
チームのために頑張れる、これは天理の良いところですよね。
―とてもいい話ですね。
一手一つの精神が活かされているんです。
―天理を離れたからこそ感じたことはありますか?
天理の人たちは真面目に愚直に頑張るし、さぼっている人もいないじゃないですか。天理以外ではそれは無理だと思いますよ。
例えば天理の人は、そこで人が倒れていたら多くの人が駆け寄ると思うんです。あと誰に言われなくても、落ちているゴミ拾うじゃないですか。だから何事にも協力できるし、助け合えるし、天理のいいところですよね。
天理高校での尽きない思い出
―天理で思い出深い場所はどこですか。
勾田寮は三年間育った場所ですし、特に食堂は思い出深いです。一年生はレギュラーであろうと食器洗いをするんです。その時に食堂のおばちゃんといろいろ話をしたりしました。
いつも一年生の日直が食事の盛り付けや配膳をするんです。週に一度、夕食が鍋なんですけど、餃子鍋の日があったんです。日直の一年生が餃子を早く入れ過ぎて、先輩が食べる時には餃子がドロドロに溶けてなくなってたこともがありましたね(笑)。先輩に「センなし(センスないわ)」って言われるんです(笑)。
お風呂も日直が入れるんですけど、温度間違えてめちゃ熱い時があったんです。雨の練習後、寒くて先輩が湯船に飛び込んだら「アツー!!」って。「おい、今日の日直センスないわ」って(笑)。
一年生の時はさまざまな仕事があって、冗談で「センスある、ない」って言ってましたけど、今になって思うと、そこら辺の仕事をセンス良くできていた一年生は、三年生でレギュラーになっている印象がありますね。
―天理高校で忘れられない選手は誰ですか。
先輩ならハルさん、同級生なら塚本健太(現・東京サントリー)ですね。健太は足早すぎました。あだ名が「塚本新幹線」でしたからね。私たちの代は個々のラグビーになりがちでしたけど、進学した天理大学ではチームラグビーをする中で、ハルさんが健太を活かして、のびのびラグビーをしていたんでしょうね。高校時代から片鱗はありましたけど、天理大学時代の健太はもっと凄かったですね。
プレーヤーとしても、人間としてもナイスガイですし、尊敬できますね。本当にいい男ですよ。
―私生活で尊敬できる選手は誰ですか。
片岡佑介ですね。私生活、寮生活であんなに頑張れる人はなかなかいないでしょうね。何事にも真面目ですよ。私を含めて個性の強いバイスキャプテンが四人もいて、そんなメンバーを従えるキャプテンですよ。プレッシャーも凄かったと思います。キャプテンとして自分の意思を出すよりは、仲間に寄り添ってくれた記憶がありますね。
―最後に竹内さんにとっての「天理」を教えてください。
実は今日も天理には来たくなかったんです(笑)。天理に近づくと雰囲気が変わりますよね。私はよく天理を「千と千尋の神隠し」だと表現するんです。今日は電車で来ましたけど、平端駅くらいから雰囲気が違うんです。当然ポジティブなイメージですけど異空間なんです。外国に来ているような、こんな世界があるんだなって思うんです。人も雰囲気も凄いです。高校時代もそんな感覚でした。今は愛知県にいますが、天理が凄すぎて簡単に足を踏み入れることに抵抗があるのかもしれませんね。
天理には「文化」があるんです、まさに「天理カルチャー」です。だから宮本啓希さんも第一回の伊勢谷スポーツ倶楽部で「天理は凄い」って仰ったんだと思います。
文化があるところはラグビーも強いです。サントリーはカルチャーがしっかりしているから強いんです。弱いチームはカルチャーがしっかりしていないから、年代ごとにやることが違うし、毎年監督も変わり、練習も変わる。
だからこそ私は天理は凄い場所だと思っています。
伊勢谷の振り返り
今回の取材にはカメラマン、アシスタントとして青年会本部の係員三名が帯同してくれた。
天理の凄さを語る竹内さんが、私に質問を投げかけた。
「係員の人たちは月給いくらもらっているんですか?」
戸惑う彼らから金額を聞いた竹内さんは、世間と比較していかに少額で、また能力に合わせた増額が当たり前と語気を強めた。
(あれ、怒っているのかな?)と危惧した私に、竹内さんは一変穏やかに話してくれた。
「頑張って働いても増額しなければ世間では成り立ちません。でも係員の彼らは給料は変わらないのに一生懸命にカメラの勉強をしているんですよね?その姿勢こそ天理教の凄さですよ」
帯同してくれた三人は取材を成功させるために、心を尽くして動いてくれた。きっと意識せずともありのままに。だからこそ、竹内さんは意図的に質問してくれたんだと思う。
私も当たり前に感じていた彼らの姿こそ天理の凄さであり、「天理カルチャ―」に他ならない。
(文=伊勢谷和海 写真=深谷重孝)
竹内健人さん/KENTO TAKEUCHI
1990年大阪府生まれ。中学からラグビーをはじめ、天理高校では1年時から花園で活躍、2年時は花園ベスト8進出。進学した明治大学では4年時、主将に就任、チームを14年ぶりの関東大学ラグビー対抗戦優勝に導く。卒業後はトップリーグの豊田自動織機シャトルズに加入。2020年に現役引退後は社業に専念。
伊勢谷和海/ ISETANI KAZUMI
1984年愛知県生まれ。天理高校、天理大学卒業後、天理高校職員(北寮幹事)として勤務。好きなスポーツは野球・陸上・相撲・ラグビーなど多岐にわたる。スポーツが好き過ぎて、甲子園で校歌を数回聞くと覚えてしまい、30校以上の校歌が歌える。スポーツ選手の生年月日・出身校も一度見たら覚える。高校野球YouTubeチャンネル「イセサンTV」を開設。ちまたでは「スポーツWikipedia」と称される。
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