第6回 今の流れをつかむ

生活困窮者の受け入れ、子ども食堂、フードドライブ、里親、さらには神名流しや路傍講演――。杉原一平さん(40歳・陽平分教会長)は、にをいがけ・おたすけの様々な形を実践するオールラウンダーだ。今回は、そんな若き教会長の〝薫り〟をお届けする。


「人間の身の内というは、みな神様よりのかりもの……」

朝6時、島根県出雲市の陽平分教会では、朝づとめの参拝者たちが「かしもの・かりもの」の教えが記された冊子を読んでいた。杉原さんと共に教服姿で勤めているのは、さまざまな理由から同教会に〝駆け込んできた人たち〟だ。

「数年前から、路傍講演やSNS、そして市役所や社会福祉協議会などからの依頼によって、生活困窮となった方々を教会に受け入れてきました。住み込みを経て社会復帰された方も含めると、計15名くらいだと思います。こうした教会の姿になるとは想像もしていませんでした」

参拝者の中に、昨年教会へ駆け込み、現在は教会の近くで暮らしている50代男性Aさんの姿があった。「初めて『かしもの・かりもの』の教えを耳にした時、とにかく感動しました。この教えをもっと学びたいと思って、いまも教会へ参拝しています」

「Aさんのようなご守護を見せていただけるのも、青年会本部の打ち出しに沿ったお陰なんです、ホントに」と強調する杉原さん。「今年で会員OBになりますが、私は青年会に関わるようになってから、本会の打ち出しを素直に実践することに徹してきました。毎朝のおつとめで『かしもの・かりもの』の教えについて学ぶようになったのも、本会の基本方針で提唱されたからです。信仰者として、今の流れに敏感になり、今の流れを読む。つまり〝旬をつかむ〟ということが大切だと思います。そして本会の打ち出しに沿うと、ホントね、物事がうまく運ぶんですよ」

杉原さんの言葉には、実践した人のみぞ語ることのできる〝重み〟があった。

〝天理教スイッチ〟が「オン」に

教会の長男として生まれた。天理高校第二部を卒業後、天理市内の一般企業に就職。本部神殿には、何か困った時だけ参拝する程度だった。「教えは素晴らしい、けれど教会は継ぎたくない。それに、自分の性格などを考えた時、将来、教会長には『ふさわしくない人間』だとさえ思っていました」

23歳の時、母親が重い病気を患った。仕事を続けたい杉原さんだったが、妻・優美さんの勧めもあり、やむなく帰郷。「でも、『お道をやるからにはちゃんとやろう』と思って帰りました。教区・支部の青年会に参加して、先輩の見よう見まねで布教活動などに取り組みました」

数年後、支部青年会委員長になった杉原さん。「この頃、私の〝天理教スイッチ〟が本当の意味で『オン』になる出来事があったんです」

30歳の時、全国の教区委員長らリーダー層が集まる行事に出席した杉原さん。懇親会の席上、青年会本部委員や教区のリーダーたちが、お道の将来をはじめ、自らのおたすけの悩みなどを真剣に語り合う様子を眺めながら、突然、涙があふれて止まらなくなった。

「この人たちは、命がけで天理教をしている。本気でお道の将来を考えて、葛藤しながらも懸命に動いている。俺、このままじゃいけん。お道を通るなら、マジで『本気』でやってやる!」

杉原さんは言う。

「あの時、私が急に号泣するので、周囲の人たちは『え、何で泣いてんの?!』ってドン引きしていました(笑)。あれ以来、青年会の打ち出しを自分の活動指針として実践するようになりましたし、にをいがけ・おたすけに対する本気度が変わりましたね」

神様から〝追い風〟を頂く

10年前、時は教祖130年祭の年祭活動――。〝マジで本気になった杉原さん〟は、地元の教友と共に布教有志グループを立ち上げ、駅前などで日夜布教に励んだ。

「なんとかおぢばへお連れしたい」。年祭活動3年目の9月、大教会の別席団参に向けて一週間と仕切って朝昼夜の三度、駅前で路傍講演に励んでいた最終日の夜だった。

「たすけてください」

路傍講演中、男性が声をかけてきた。泥酔状態で話す内容が支離滅裂だった。

翌日から男性は教会に住み込むことになった。「赤の他人を受け入れることには、当初、不安と恐怖がありました。けれど、教祖のひながたを考えた時、『目の前で困っている人をたすけたい』という気持ちが勝りました」

教会長就任を間近に控えた杉原さんにとって、この男性Bさん(74歳・同教会教人)は〝住み込み第一号〟となり、現在も住み込みとして教会を支えている。

Bさんに杉原さんの人柄を尋ねると、目にいっぱいの涙をためながら力強く答えた。

「若いのに本当に立派な人です。そして私の『恩人』です。私は、これからも教会をお守りしますし、会長さんに一生ついていきます!」

「Bさんとの出会いが、私のおたすけのターニング・ポイントでした。神様から〝追い風〟を頂くということのスゴさを実感する最初の出来事でしたね。以後、さまざまな問題を抱えた方々と出会うようになり、教会でお世話をさせていただくようになりました」

杉原さんは、その後も「初参拝」など、青年会本部から提唱される方針などに徹して活動を展開してきた。

一昨年、各社会福祉協議会へ訪問して地域の悩み事を学ぶ活動「そうだ、社協へ行こう!」が本会から打ち出しされた際も、すぐに社協へ足を運び、その後間もなくして「子ども食堂『わくわく食堂』」を開設した。

その際、住み込みを抱えている教会の実績を伝えたことにより、社協から生活困窮者の一時保護などの依頼が相次ぎ、これまでに計15人を受け入れた。昨年12月には、空き家になった隣家を借用。住み込みや一時的に駆け込む人たちの住居を確保するまでに活動が発展している。

「こうしたおたすけができるのも、前会長である父や妻の理解と協力のお陰です。特に妻には、心から感謝しています。新しい入居者がある度に妻と相談をしますが、快く受け入れてくれます。里子を含め6人の子育てをしながら、十数人の食事を作ってくれています。私としては、おたすけ以外の時間は、自分が個人的にやりたいことは〝無〟にして、家事や子育てに自分の時間を当てています。ここ最近、飲み会も〝無〟ですね(笑)」

こう言って爽やかに笑う杉原さんは、取材中終始、里子Cちゃん(4歳)を抱っこしていた。

打ち出しに沿えば、間違いない

現在、青年会本部が推進する「SNSたすけ」(Twitter等を使って難渋にアプローチするおたすけ活動)にも取り組んでいる杉原さん。「元々、積極的にSNSを活用していたわけではありませんが、発信し始めてから実際に駆け込んでくる方もあり、おたすけの幅が確実に広がりましたね」

そんな杉原さんに、駆け込んできた人たちに対するアプローチについて尋ねた。

「教会に駆け込んでくる人たちは、人生につまずいた人たちです。人生という道の歩き方が分からないから、つまずきを繰り返す。その正しい歩き方がお道の教えですので、折にふれて教えを伝えるようにしています。教会生活は基本的に自由で、おつとめなどの宗教的儀式は強制していません。けれど、信者さんの尊いお供えで教会生活が成り立っている事実を伝えて、感謝の心を持つことはもとより、挨拶やマナーなどを心がけてほしいとお願いしています。そして、自分が救けられたと思ったら、他の人を救けてくださいとお伝えしています」

今年3月、教区青年会副委員長の務めを終えた杉原さん。会議の席上、退任挨拶を求められた際、後輩の委員たちに簡潔明瞭な言葉を贈った。

「青年会の活動を真剣に勤めたからこそ、今の私があります。そして、青年会本部の打ち出しに沿えば、間違いないです。今の流れをつかむことが、神様をつかむことにつながります。以上!」

(文=石倉勤、写真=廣田真人)