No.1シュウヨウカメモリーズ
⼈類のふるさと、おぢばに伏せ込む3ヶ⽉。全国各地から⽼若男⼥が寄り集い、共に過ごす時間の中で信仰を深めるとっておきの時間。
そこには⼀⼈ひとりのドラマがあり、かけがえのない思い出となってそれぞれの胸に刻まれていく。
今⽇もおぢばで爽やかに薫る、⼀⼈の修養科⽣のメモリーをお届けします。
メモリーNo.1
Name: ⼭⽥ 拓⽣(やまだ たくお)さん
Age: 27歳
From: 茨城県
第⼀印象は、物腰が柔らかく真⾯⽬な好⻘年。そんな⼭⽥拓⽣(やまだ たくお)さんに、記念すべきシュウヨウカメモリーズの初回を飾っていただきました!
信仰から遠ざかっていた⾃分
――なぜ修養科に⾏こうと思ったんですか?
信者家庭で育った私は地元を離れ、天理⾼校⼆部へ進学してから約10 年間天理で⽣活していました。
⾼校を卒業してからも天理で暮らしながら医療関係や介護職で働いていました。
もともと天理教の教えは好きでしたし、仕事を始めた当初は参拝に⾏ったり、仲間を集めて勉強会をしたりと熱⼼に信仰していました。しかし、仕事に追われる⽇々に、忙しさから次第に神様と向き合う時間が少なくなっていきました。
厳しい職場環境の中で、「社会では天理教の教えは通⽤しないんじゃないか」と思うこともありました。
天理に住んでいるのに、神殿から⾜が遠のいていましたね。
介護の仕事は⾁体的にとてもハードで慢性的な腰痛を抱え、昨年末にそれが悪化して⾝動きが取れなくなりました。
同時に職場でのトラブルにも巻き込まれ、⼼⾝ともに疲れた私は退職せざるを得なくなりました。
療養のため帰省した際、先の進路に悩んでいた私に⺟は修養科を勧めてくれました。
いつかは⾏きたいと思っていましたが、まるで信仰から遠ざかっていた私を神様が引き寄せてくださっているように感じ、この時の⺟の勧めがストンと腑に落ちて修養科に⾏くことを決意しました。
鮮やかに感じた「おさづけ」のすごさ
――修養科に⼊ってどうでしたか?
やはり⽣活が⼀変しましたね。これまで介護の仕事をしていたので、昼夜逆転することも多かったのですが、修養科は規則正しい⽣活でとても健康的な⽇々を過ごせました。
持病の腰痛も、教養掛の先⽣が毎⽇おさづけを取り次いでくださって、⽇を追うごとに良くなっていきました。
薄紙を剥ぐようにってこういうことなんですね。
⼀カ⽉が経つ頃にはすっかり良くなり、「おさづけって本当に効くんだ!」と、ご守護を実感しました。
その頃、隣の席のおじいちゃんに持病があると知り、おさづけを取り次がせてもらいました。
私がおさづけを取り次ぐと、「ありがとう、おかげで楽になったよ」ととても喜んでくれました。
それが嬉しくて、私はそのおじいちゃんに毎⽇おさづけを取り次がせていただくことを⼼定めしました。
それから毎⽇休み時間におさづけを取り次ぎ、その度におじいちゃんは喜んでくれました。
⼀カ⽉が経った頃、1 ⽇だけ体調不良で休んでしまったことがあったんです。
その⽇の午後におじいちゃんは体調を崩し緊急⼊院することになりました。
そしてそのまま修養科を辞退することになってしまったんです。
私は「おさづけを取り次がなかったせいかもしれない」ととても後悔しましたが、それと同時に、おさづけのすごさを改めて実感しました。
未熟な私でも、神様にもたれて取り次げばご守護がいただけるんだと確信しました。
おじいちゃんは今も⼊院中で⾯会できませんが、おさづけの代わりに毎⽇お願いつとめをしています。
⾃分だからこそ与えられた役割
――修養科での思い出を教えて下さい
修養科では3番組係という⽴場を任されました。
簡単に⾔えば、ひのきしんの担当です。
これが⼤変でした。
新型コロナウイルスの影響により、⼀時、クラスメイトの中でひのきしんに出席できない⼈が続出したんです。
その度に「代わりにひのきしんに⾏ってもらえないか」とクラスのみんなにお願いをしてまわりました。
私⾃⾝も代わりにひのきしんに⾏くことがよくありましたね。
頭を下げてまわる⽇々は⼤変でしたが、⾼慢な⾃分の⼼を省みる良い機会になりました。
組係をお願いされた時、実家の⺟に報告をすると、「それは拓⽣だからこそ与えてもらった役割だよ」と⾔われたことを思い出しました。
これも神様から頂いた成⻑のチャンスなんだと思います。
ひのきしんの交代をお願いしていると、いつも快く引き受けてくれるクラスメイトがいました。
⼤変そうにしている私を気にしてくれていたのか、お願いするよりも先に、「何かで
きることありませんか?なんでも⾔ってくださいね!」と声をかけてくれました。
⼈のためにフットワーク軽く動ける彼の姿は尊敬できるし、とても勉強になりました。
組係の経験を通して、⼈のために⼼を低く、尽くすことの⼤切さを学べたことが、⾃分の成⻑につながったと感じています。
親神様、教祖を信じきれる⾃分
――修養科⽣活を経て、⼼境の変化はありましたか?
はじめは⾃分の腰痛をなんとかしてもらいたいと思って受講しましたが、修養科での⽣活を送るうちに⾃分の⼼が、たすけてもらいたいという気持ちから、周りの⼈のために何かさせてもらいたいという気持ちに変化していきました。
組係としての⽴場や、おさづけの取り次ぎの体験を通して、親神様のご守護を肌で感じることができました。
修養科では親神様と⼀対⼀で向き合う時間がたくさんあります。
この期間、⼈⽣で⼀番神殿に通ったんじゃないでしょうか。
修養科でのさまざまな体験は、何よりも神様にもたれきることが⼤切だと私に教えてくれました。
全ては⾃分の⼼次第なんですね。
今では親神様、教祖のことを信じきれるようになりました。
今後は世間で働く中でも教えを実践し、「私を⾒てください」と胸を張れるようなお道の⼈間になりたいと思っています。
修養科に関するお問い合わせは
ホームページをチェック!
https://shuyoka.tenrikyo.or.jp
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