
人間関係や自分の心の在り方に迷うとき、私たちはどのような心持ちで過ごすべきでしょうか。本シリーズでは、わたくし吉岡が、「おさしづ」の言葉に耳を傾け、心の向きが変わったエピソードをご紹介します。現状を否定するのではなく、心を澄ますことで日常の景色を鮮やかに変えていく。明日をより機嫌よく、陽気に通るためのエッセンスをお届けします。

吉岡元洋 / Motohiro Yoshioka (甲賀・近愛)
青年会本部 求道部委員
滋賀教区青年会 委員長
本科研究課程 卒業
好きなこと:ギター、コーヒー、読書、会話
身上や事情に現れる「親神様の手引き」
つい最近、息子が鼻血を出し、
さらに下の子の足の指からも血が出ていて、
「血が出る」という出来事が続きました。
これは、ちゃんと思案しないといけないなぁ……
と思い、色々なお諭しの本や資料がある中で、
たまたま手に取ったのが、
生前、私の祖父が持ち歩いていた、
『さとしの理』というノートでした。
祖父のノート『さとしの理』より
そこには、
【出血】
「知らず知らずの内に、神様を馬鹿にした理。」
と書いてありました。
最初は、ピンとくる心当たりが無かったのですが、
「馬鹿にする」という言葉の意味を改めて調べてみると、
【相手を自分よりも、劣っているとみなすような言動や態度】
とありました。
よくよく振り返ってみると、
- 「神様のお言葉」を日々学んでいながら、狭い人間思案で悩んでいたり、、、
- 「神様のお言葉」を日々学んでいながら、世上の考えに心が引っ張られていたり、、、
- 「神様のお言葉」を日々学んでいながら、行動にはほとんど変化がなかったり、、、

「あ〜、あるある!」って思いませんか?
毎日教えを学んでいるはずなのに、いざ悩みが起きると、つい神様のお言葉より自分の考え(人間思案)を優先しちゃうこと……
確かに神様からすれば、
- 『教えてあげているのに、なぜ悩む?』
- 『導いてあげているのに、なぜ拒む?』
- 『知っているのに、なぜやらない?』
と、神様のお言葉よりも、
” 自分の考えの方が正しい “
という言動や態度になってしまっていたのかもしれません。
それが、「神様を馬鹿にした理」として、
知らず知らずの内に大埃となっていたことを、深く反省させて頂きました。
「見えない血」が出血として現れる意味
身体の中にある「見えない血」が、出血という形で「見える」ようになる。
それは、
『見えない神様のお働きを、ちゃんと見なさい。』
というお諭しのように感じられました。
神様のお働きやお導きに対して、もっと心に感度を立てて通ること。
物事の選択の判断基準に、神様のお言葉を据えること。
知って終わりにせず、行動へと移していくこと。
それが、神様を立てて通る姿勢として、
お受け取り直し頂けることを願っております…。



回は「血が出る」というサインでしたが、私たちの日常って、どんな些細な出来事にも神様からのメッセージが隠されているんですよね😌
さて、皆さんの身の回りには、今どんなサインが現れてるでしょうか?
おさしづに、以下のようにあります。
【伝えること出けんから、身上に知らせ。】(M32.8.26)
【軽くに思うから、何でもないことが重くなる。】(M33.1.25)
どんな些細な身の出来事であっても、そこには親神様の、
” 大難を小難、無難にしてあげたい “
という、温かい親心が込められていることを、
忘れずに通らせて頂きたいと思います。







