世界で発見!こんなところにようぼく#3│伝わる「にをい」
世界には、日本で暮らしていてはおよそ想像のできない生活がある。そこには、価値観が全く違うからこそ感じる信仰の素晴らしさがあるはず。「世界で発見、こんなところにようぼく」では、仕事や結婚など、何かしらの理由から遠く海外に住む教友の信仰生活に迫る。
日本から約5,737 km。都市圏人口では東京につぐ世界第2位の大都市であるインドネシア・ジャカルタに、今回紹介するようぼくがいる。美容室「Lond by Ciel Sowal」で美容師として務める傍ら、インドネシアの貧困問題の解決に取り組む山崎南さんだ。
「世界で発見!こんなところにようぼく」第3回目は、彼の「助け合い」に対する思いを聞いた。
ジャカルタってどんなところ?
インドネシアの首都・ジャカルタは、人口約1,000万人の大都市で、インドネシアの多様な文化が融合した街並みや人々の温かいおもてなしが魅力である。歴史的建造物や美術館、公園などの観光スポットも充実しており、若い世代からシニア世代まで幅広い層から人気の街だ。
今回インタビューしたのは
- Name:山崎南さん(甲賀)
- Age :32歳
- From:ジャカルタ(インドネシア)
2009年 天理大学国際文化学部アジア学科インドネシア語コース入学
2010年~2011年 インドネシアバンドン県パジャジャラン大学留学
2013年 天理大学卒業
2013年~2015年 グルノーブル美容専門学校(埼玉)
2015年~2019年 美容室FORTE就職(静岡)
2020年 フリーランス活動開始
2022年 Lond by Ciel Sowal就職(インドネシア・ジャカルタ)
夢を与えてくれたインドネシアでの経験
インタビューはZoomで行った。少し大きめの黒縁眼鏡に、赤茶の髪色。外装からオシャレが滲み出る山崎さんは、現在、ジャカルタで美容師として働いている。
「今、カフェに居るので、周りがうるさかったらごめんなさい」
そう謝る山崎さんの背後から聞こえるカフェの音すらも、彼のオシャレさを装飾するようだ。はじめに、インドネシアに移住した経緯を伺った。
インドネシア語を学ぶきっかけ
天理高校卒業後、天理大学アジア学科(現在の地域文化学科)へ進学。当時、アジア学科では、中国語、韓国語、タイ語、インドネシア語の中から、1つの言語を選ぶプログラムだったという。
入学時は中国語を選ぶつもりでしたが、中国語と韓国語の希望者が非常に多く、みんなと一緒のことをしても面白くないなと思い、インドネシア語かタイ語をしようと決めました。
ちょうどその頃、たまたまテレビをつけると、タイで暴動が起こっていたんです。なのでインドネシア語に決めました。今考えると安易ですよね(笑)。
それでも、せっかく語学をするなら留学をしたいと勉強に励みました。
夢を与えてくれたインドネシア留学
勉強の甲斐あって、山崎さんは大学2年生のときにインドネシアへ留学した。そこでたまたま出会った日本人の活動に衝撃をうけたという。
ある日、インドネシア人の友人に、「紹介したい人がいる」と治安のあまり良くないスラム街へ連れて行かれました。そこにひとりの日本人美容師がいたんです。
聞くと、普段は街で裕福な人の髪を切っているが、休みを利用してボランティアで貧しい人たちの髪を切っているとのことでした。
人生で何か有意義なことをしたいと思っていたが、特段、何をすればいいかわからずにいた山崎さんにとって、その日本人美容師の活動は衝撃的だった。
自分も人のためになることをしたい!この人みたいに生きたい!と、美容師になる決意をしました。
インドネシアに根付く助け合いの文化
山崎さんは天理大学卒業後、美容専門学校へ進学し、現在はジャカルタで美容師をしている。インドネシアに移って驚いたことは、助け合いの文化が根付いていることだと教えてくれた。
インドネシアはまだまだ貧しい人が多く、みんなで助け合わないと生きていけない環境です。例えば、インドネシアは入院費用が高く、平均月給2~3万円では到底払えない。なので、誰かが入院することになったら、近所の人たちみんなでお金を出し合うんです。
逆に、自分が困ったときは周りの人が助けてくれる。ほかにも、食べ物に困っている人がいたら、食料を分け与えることは当たり前です。
インドネシアに比べ、日本での生活で不便なことは少ないと思います。でも、不便が少ないということは、裏を返せば、頑張れば一人でなんとかできるということだと思うんです。
インドネシアの場合は、そうはいかないので、助け合いのコミュニティが欠かせないんです。
だからこそ、困っている人がいれば、本気で助けようとするし、困ったときは本気で誰かを頼ろうとする。困ったときに本気で頼れる人がいるって大切なことだと思います。「頼られては頼る」そんな温かさがこの国にはありますね。
「良い」にをいがする活動
美容師として働く傍ら、社会貢献活動として募金活動や自身の売上の一部を孤児院や福祉施設に寄付している山崎さん。今ではこうした活動に参加するために店へ訪れる人もいるという。
お客さんには「あなたが支払ってくれた金額の一部を寄付に回してもいいですか?」と聞くようにしてます。
私は「インドネシア人にインドネシア人をたすけてほしい」というコンセプトで活動しています。インドネシア人に自国の貧困の実態を知ってもらい、みんなで助け合ってほしいんです。
イスラム国家のため、公での布教が難しいインドネシア。そうしたなか、山崎さんが心掛けているのは「良い」にをい意識した活動だ。
良い「にをい」を意識しながら人に喜ばれる活動をしていると、なんでそんな活動をしているのかと聞かれることがあります。そのときは、実は天理教を信仰していて、教えに基づいて活動していると答えるんです。すると、インドネシア人も、駐在している日本人も興味をもって話を聞いてくれます。
「大事なのは聞いてもらえる自分であるか」だと思っています。まずは誰かのために主体的に行動して、聞いてもらえる自分であるように意識しています。
子どもの頃に、良い「にをい」をかけてもらったので、次は自分が良いにをいをかけていきたいです。
幼少の頃に培った「たすけ心」
山崎さんは、大教会役員の子弟として、幼少期を大教会で過ごした。両親をはじめ、教会の方々が「人のために生きている姿」を見て育った経験が、今の活動に繋がっていると明かしてくれた。
両親や大教会長さんの生き方を見て育ち、人のために生きることは素晴らしいという考え方が自然と培われました。親々の姿のおかげで今の自分があるので、人に喜ばれる生き方をすることで、恩返しになれば。
純粋な気持ちで信仰と向き合う山崎さん。「天理教の信仰に抵抗を感じることはなかったのか?」と尋ねてみた。
天理教の信仰が嫌になることはなかったです。素晴らしい教えだし、それに基づいて人に喜ばれることができればと思います。
自分自身に身上や事情があっても、なんで天理教を信仰しているのにこんなことが起こるんだろうと思うよりも、何か神様からのメッセージがあるんだろうなと考えるようにしています。
そう考えることができるのも、小さいときから親や会長さんが信仰との向き合い方を教えてくれたからです。口だけでなく行動で示してくれたので、納得できたんだと思います。
「伝える」から「伝わる」信仰
山崎さんは留学中に出会った方と結婚。彼女に天理教の信仰はないが、山崎さんの信仰には理解があるという。山崎さんはそのことについて、両親や周りのおかげだと語った。
結婚式は大教会で行い、妻の両親も参加してくれました。私の両親が彼女と接するときは、妻の気持ちを優先してくれているように感じます。もちろん両親だけでなく、兄弟や周りの人も同様に、信仰を押し付けず、姿で示してくれるおかげで、天理教に良い印象があるんだと思います。
海外で感じる「かしもの・かりもの」
日本とは価値観がまるで違う海外だからこそ感じる、「かしもの・かりもの」の教えについて聞いた。
インドネシアは日本よりも衛生面が良くないので、病気に罹りやすいです。病気になったとき、当然、自分では治せません。そんなときに自分にできるのは、この病気は神様からのどんなメッセージなのかとか、自分のどんな心遣いが良くなかったんだろうと考えることだけ。
いくら神様に「病気を治してください」とお願いしても、自分の心遣いを間違えていたら、おそらく治らないと思うんです。なので私は、だだ神様にお願いするだけではなく。どうすれば自分の心がきれいになるかなと考えるようにしています。
もしこの考え方が間違っていたら、神様がなにかしらの方法で手を引いてくださるだろうと信じています(笑)。
逆を言えば、何か心遣いに間違いがあったときに、お手引をくださるのが、体が「かしもの・かりもの」である証拠だと思っています。
今後も天理教の教えをもとに、助け合いの心で、困っている人の力になれるよう挑戦していきます。
まとめ
学生の頃に、両親に「親孝行って何をすればいい?」て聞いたことがあるんです。するとこのように言われました。
『何をしてほしいとかはない。ただ、望むことは二つ。「健康に生きてほしい」「人を喜ばせてほしい」それだけ。』
その言葉が今でも心に強く残っています。なので、「かしもの・かりもの」と「助け合い」を意識しています。
信仰は「にをい」で伝わる、と強く感じるインタビューとなった。
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