能登に広がる〝助け合いの輪〟

おやさとふしん青年会ひのきしん隊結成70周年記念特別インタビュー

「メルヘン日進堂」代表取締役
 石塚愛子さん

ドイツ語で「木のお菓子」を意味するバウムクーヘン。年輪のように幾層にも重なって出来たバウムクーヘンが〝架け橋〟となり、いま新たなつながりが生まれている――。

今年1月9日、「おやさとふしん青年会ひのきしん隊」が結成70周年を迎えた。奇しくも1月1日、「令和6年能登半島地震」が発生した。青年会本部では「天理教災害救援ひのきしん隊(以下、災救隊)」本部隊の一員として「青年会隊」を結成。2月上旬から継続して炊き出しや瓦れきの搬出作業など、被災地での救援活動に取り組んできた。

そうしたなか、自らも被災しながら災救隊を支援した女性がいる。石川県珠洲市で老舗和洋菓子店「メルヘン日進堂」を経営する石塚愛子さん(47歳・手取川分教会教人)は災救隊本部隊の宿営地として店舗を提供するとともに、救援活動に全面的に協力した。

こうした災救隊とのつながりと石塚さんのご厚意により、10月26日の青年会総会前夜祭の模擬店にメルヘン日進堂が出店した。同店の看板商品であるバウムクーヘンを通じて、「災救隊へのお礼とともに、おぢばに帰参した方々に喜んでいただきたい」と話す石塚さん。これまでの復興の歩みや、震災の節から思案することなどを伺った。

  「何もできない無力さ」
感じた震災

――ご自身も能登半島地震で被災されるなか、どのような思いで過ごしてこられましたか。

地震が発生したのは、上級の北乃洲分教会の元旦祭を終えて自宅へ帰り、夫の実家へ年始のあいさつに出かけようとしたときでした。激しい揺れが収まると大津波警報のアラームが鳴り、すぐに神実様を祀る2階へ避難しました。

窓の外を見ると、高齢夫婦とその娘さんが歩いて避難しているのが見えました。すぐに声をかけ、3人を自宅2階に避難させました。

間もなく津波が押し寄せてきて、3分間ほどであたり一面が浸水。近くの建物や電柱は倒壊し、自家用車は押し流されてしまいました。その間は何もできない無力さを痛感するとともに、ただただ手を合わせるだけでした。

震災当日、自宅2階から撮影されたもの。高さ約150センチの津波が押し寄せ、自家用車を押し流した(石塚氏提供)

夜になっても水は完全に引かず、私たち夫婦とその親子は同じ部屋で一晩を過ごしました。電気や水道は止まり、ラジオから流れる情報だけが頼りでした。それでも、不思議と不安や心配はありませんでした。むしろ「命を守っていただいた」という感謝の思いで胸がいっぱいでした。

そして、「今、自分にできることはなんだろうか」と考えを巡らせる中で、「私にはお菓子がある。これで人さまの役に立つことができる」という希望と安堵に包まれたのです。

どんな中も教祖のひながたを頼りに

――被災地のお菓子屋さんとして、どのような活動をされてきたのですか。

今年、メルヘン日進堂は創業111周年を迎えました。「恩返し大作戦」と称して、昨年末から地域の方に喜んでもらおうとさまざまな計画を立てていました。 

ましてや、教祖140年祭に向かう三年千日活動のさなか。「お見せいただいたことをすべて受け入れる」という心定めをしていたので、何かと不自由を強いられる中であっても「教祖のひながたを頼りに通らせていただこう」という決意をしました。

店舗に行くと奇跡的に建物の損傷は少なく、商品も無事でした。1月4日からは、初売りに向けてストックしていたお菓子を持って避難所を回りました。駐車場には、企業やボランティア団体、災救隊の合力でトイレカーが設置され、「珠洲市で一番きれいなトイレ」として地域の方々にとても喜んでいただきました。トイレカーがあるおかげで店舗が交流の拠点となっていたので、「たすけ愛カフェ」を開いて、被災者の憩いの場や情報共有の場として活用していただきました。

こうしたなか、災救隊やひのきしんセンターのおかげで、地域に「天理教といえばひのきしん」という認識が自然と広がっていきました。いまでも、地域の皆さんから「天理教さんには本当にお世話になった」とお礼を述べられることがあるのですが、災救隊の活動のおかげと日々感謝しています。

災救隊と過ごした〝奇跡の75日間〟

――災救隊の宿営地として店舗を提供されました。

震災後、水道は止まり、道路が寸断され材料調達はできず、社員たちは市外に避難しているという状況でしたが、奇跡的に店舗に被害はほとんどありませんでした。そうしたなか、災救隊から活動拠点にできないかとの打診を受け、両親や所属教会長と相談のうえ協力させていただくことにしました。

宿営地の設営の際に、本部水道課の方が来てくださり、止まっていた店舗の水道を使えるようにしてくださいました。私が感動していると、水道課の方が「止水栓を止めて、給水車の水を逆流させることで水道が復旧する」と理屈を教えてくださいました。

それを聞いた瞬間、「みかぐらうた」三下り目七ッに唯一、左に回る動作があることを思い出しました。そして「かみにもたれてゆきまする」とのお歌の通り「能登の復興のために、神様にもたれて通らせていただこう」と思えたのです。

その後、水が使えるようになったことで炊き出しが可能になり、災救隊の方々が各地から代わるがわる支援に来てくださいました。私自身もお菓子屋を存続するのが難しい中で災救隊の方々に励ましていただき、本当に心が救われました。

2月1日はメルヘン日進堂の創業111周年記念日でした。この日の夜に宿泊された隊員さんたちが記念日を共に祝ってくださり、忘れられない一日となりました。災救隊の方々と過ごした期間は神様のお働きを毎日感じることができた〝奇跡の75日間〟でした。青年会隊にも幾度となく駆けつけていただき、頼もしくありがたい気持ちでいっぱいです。

 「進化を遂げたカエル」に
 学ぶ可能性

――復興に向けて、いまの思いをお聞かせください。

年に一度、金沢大学で「ソーシャルビジネス概論」の授業を担当しています。その中で「進化を遂げたカエル」の話をします。進化を遂げたカエルとは、オタマジャクシの段階を飛ばして卵から直接生まれるカエルのことで、水一滴もない場所で生息しています。このカエルのように、生き物は常識ではかることのできない可能性を秘めていると思うのです。

当然、人間である私たちにも〝とてつもない可能性〟があります。その力を発揮して、震災にあった能登の地を子どもたちであふれる明るい街に復興させるというのが私の願いであり、若い人たちにも「自分たちの可能性を信じて頑張っていこう」と伝えています。

そのカギとなるのは、助け合いしかないと思っています。現代の日本人は本当に忙しい日々を送っていますが、そうした時代に生きているからこそ、人のために行動したときに得られる達成感や喜びを思い起こし、常識という垣根を越えていくことが大切なのではないかと思います。

今回の震災という大節を通して、遠回りで時間はかかるけれども、仲間と共に取り組むからこそ乗り越えられるということをさまざまな場面で実感しました。「どんな苦労もいとわずやりきる」。この覚悟と行動力が何事をするにも求められているように思います。

今春、庭先にチューリップが花を咲かせました。津波に襲われた場所にもかかわらず、今年も地面にしっかり根を張ってきれいな花を咲かせてくれたのです。このチューリップに負けないように、能登の地に〝助け合いの輪〟という花を大きく咲かせたい――。今回の震災を通して、陽気ぐらしを望まれる親神様が私たちの背中を押してくださっているように思えてなりません。

いしづか・あいこさん

1977年7月、石川県珠洲市でお菓子屋の三女として生まれる。「口から入り体から出るまでのおいしさ」を追求するため、原材料選びにこだわり、体に優しいお菓子づくりへの心がけと、「いつもおかしなこと」を考えている。「令和6年能登半島地震」後も、復旧・復興につなげるための地域づくりと仕組みづくり、心躍るようなお菓子づくりへの飽くなき挑戦を続けている。有限会社メルヘン日進堂 代表取締役。

HP : https://www.meruhen-nissindo.com

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